拓殖大学創立120周年記念特別展示「地の境を越えて」西郷菊次郎と隆治、隆秀 -- 拓殖大学国際交流の命脈

プレスリリース発表元企業:拓殖大学

配信日時: 2018-11-13 14:05:03



明治の元勲・西郷隆盛の子・西郷菊次郎とその子である隆治、隆秀兄弟。拓殖大学と所縁の深い人物達の「地の境」を越えた生涯の業績を紹介する展示が実施される。入場無料、見学自由。




 明治の元勲・西郷隆盛の子・西郷菊次郎とその子である隆治、隆秀兄弟。
 拓殖大学と所縁の深い人物達の「地の境」を越えた生涯の業績を紹介する展示が同大学120周年記念事業の一環として開催される。菊次郎と隆治に関する資料は主に隆治の孫・諌山尚子氏より同大へ寄贈されたもの。入場は無料、見学に関する詳細は以下を参照。



・西郷菊次郎(1861-1928)
 愛加那を母として奄美大島で出生。9歳のとき鹿児島の西郷本家に引き取られる。農業技術習得のため13歳で渡米。1877年西南戦争に従軍(17歳)、片足を失う。1884年外務省に入り米国再留学。1895年領有草創期の台湾に渡り、1897年から宜蘭庁長。のち1904年より京都市長二期。1910年東洋協会(拓殖大学の経営母体)評議員となる。1912年島津家の山野鉱業館館長就任。(NHK大河ドラマ「西郷どん」では、西田敏行が演じている)


・西郷隆治(1899-1977)
 1920年4月拓殖大学入学。父・菊次郎の命により1921年9月退学して農事研究のためブラジルに渡る。サンパウロを中心に日本人移住者子弟の柔道教育にも貢献した。帰国後は、終戦の年まで母校県立二中(現甲南高校)で武道教師を務めた。「体格雄偉で眉が濃く太く、眼裂の大きい目はけいけいとしてかがやきが強く」城山町にある西郷隆盛像のモデルではなかったかと、作家海音寺潮五郎は述べている。

・西郷隆秀(1907-1985)
 1925年4月拓殖大学入学、1931年3月卒業。1954年から拓殖大学評議員。1955年3月から1964年6月まで拓殖大学理事長を三期務めた。理事長推薦の辞に「春秋に富み、学内においても信望厚く、且つ学外一般に対して顔も広く、将来本学の発展に尽力して頂くのに最適の人物」とある。矢部貞治総長との二人三脚で戦後の学園復興を進めた。八王子国際キャンパスに「西郷隆秀先生顕彰碑」が立つ。

[展示場所・期間]
1.場 所:
 拓殖大学文京キャンパス E館1階 後藤新平・新渡戸稲造記念講堂脇ホワイエ
 〒112-8585 東京都文京区小日向3-4-14 
 東京メトロ 丸ノ内線「茗荷谷駅」下車 徒歩3分
2.期 間:
 平成30年11月20日(火)~平成31年1月31日(木)
 9時00分-17時00分
 日曜日、年末年始(平成30年12月25日~平成31年1月6日)と成人の日(平成31年1月14日)およびセンター試験期間(平成31年1月19日・20日)はお休み致します。


【お詫びと訂正】本文中、西郷隆治の名前などに誤りがありました。お詫びして訂正いたします。(2018/11/20 10:40)

▼本件に関する問い合わせ先
拓殖大学 広報室
TEL:03-3947-7160
メール:web_pub@ofc.takushoku-u.ac.jp


【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/

プレスリリース情報提供元:Digital PR Platform