金銅仏像収集家、東方瑰宝(北京)芸術品有限公司会長李巍氏のインタビュー記事を『人民日報海外版日本月刊』にて公開
配信日時: 2024-12-17 15:45:00
『人民日報海外版日本月刊』は、東方瑰宝(北京)芸術品有限公司会長 李巍氏のインタビュー記事を公開しました。
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金銅仏像収集家、東方瑰宝(北京)芸術品有限公司会長李巍氏
2024年の秋、日本の角川武蔵野ミュージアムにおいて、「刺繍タンカ芸術展~中国無形文化遺産の美~」と銘打たれた華々しい展覧会の幕が切って落とされた。李巍氏が提供した百点にも及ぶ宝物は、中国とチベットの交流を示す壮麗な詩史であると言ってよい。当時の朝廷における最高峰の域に達した工芸品の数々は、国内外を問わず、芸術を愛する者や専門家たちの視線を釘付けにし、にわかにして大きな話題となった。
これを契機として、本誌は、著名な金銅仏像の収集家にして東方瑰宝(北京)芸術品有限公司会長の李巍氏にインタビューを申し込み、彼の半世紀にわたるコレクションの過程と、八百点を超える寄贈の背後にある「捨」と「得」について探った。
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「刺繍タンカ芸術展~中国無形文化遺産の美~」
■負債を恐れず、善と美を求める
「名家や巨匠の作品を目にしたならば、生活を切り詰め、借金をしてでも、その収蔵に努めるべきである」とは、生涯を賭けて国宝を収集した張伯駒の自述であるが、李巍氏の収集に対する一途な熱意を表すのにこれほどふさわしい言葉はない。氏が金銅製の仏像に初めて出会ったのは、運命の糸にたぐり寄せられたと言うべきか、それは氏にとって何気ない善意の出来事によるものであった。かつて任務遂行のためチベット高原に赴いた李巍氏は、ある牧畜民の家に宿を借りた。その家の子がぼろの服を着ているのを目にした氏は、いささかもためらうことなく、大切にしていた毛糸のベストをプレゼントした。すると淳朴な牧畜民は、赤い布でしっかりとくるんだ小さな金の仏像をお礼の品として贈ってくれた。
それはかつて文革で悪とされた「四旧」の一つであったが、これこそ神仏が引き合わせたのであろう。氏は神々しく輝くその像に心を奪われ、以来、金銅製の仏像に夢中になったのである。その気持ちはみるみる膨れ上がり、以後の人生において、それを抑えつけることはとうとうできなかった。
尋常ではなかったあの時代、李巍氏はゴミ捨て場と鉄鋼炉のあいだを行き来し、幾度となく身を挺して危険に立ち向かった。それはただ、汚れなき信仰と美しき魂を宿した芸術的な宝物を救い出すためであった。しかし、運命は往々にして人を弄ぶ。フランスで行われたあるオークションの下見会で出会ったよく見知った二人によって、李巍氏の心は一瞬にして谷底へと突き落とされた。その二人の古物商は信義に背き、ただ「急ぎの金が必要で、あんたを待っていられなかった」とだけ言い残し、仏像をこっそりと海外の収集家に売り渡したのである。そのとき李巍氏は、文物を保護するには熱い想いだけではどうにもならないことをしみじみと悟った。
金によって壮大な志が挫かれることもあるのだという残酷な現実に、彼は気がついたのである。
こうした貴重な美術品を守るため、また、それらを祖国に留めるため、李巍氏はきわめて難しい決断を下すことにした――27度もの褒賞を受け、26年間の青春を捧げた高原駐屯地を思い切って離れ、ビジネスの世界へと身を投じたのである。さらなる文物の発掘と保護のため、彼は高利貸しから借金をすることも厭わず、息子のために蓄えていた結婚費用もつぎ込んだ。幸いなことに、伝統工芸を復元して製造したトウ河緑石硯が、シンガポールや日本、オーストラリアなどで好評を博し、彼のビジネスキャリアにおいて初めてのまとまった収益をもたらした。それと同時に、トウ河緑石硯の原産地である甘南チベット族自治州のチョネ県においても、豊かさへとつづく希望の灯火をともすこととなった。
また、李巍氏は酒の醸造所を開き、熾烈な市場競争のなかでも商才を現して、マカオ返還記念酒――「九九澳特純」の受注を獲得し、さらに生産に携わった三星堆銘酒は文化的IP市場におけるモデルともなった。改革開放初期、彼は職場に新設された科学技術文化サービスセンターのリーダーに任命され、チームを率いて数百万もの利益を生み出したこともある。高原駐屯地を離れたあとの氏の働きは実に多岐にわたるが、文物を保護し、社会に還元して、みながともに豊かになることを己の使命とした。そうして、東方瑰宝銀川文物商店、東方瑰宝(北京)芸術品有限公司を相次いで興し、その使命を果たすための重要な足がかりとした。
白雪やまぬ高原から世界各地へと飛び出し、緑に彩られた駐屯地からブルー・オーシャンへと漕ぎ出した。飽くことなく真なるものを求め、心の底から善なるものを守り、私をなげうって美なるものを護る、それが片時も揺らぐことのない李巍氏の信念なのである。
■文化を共有し、その光をあまねくとこしえに届ける
収蔵品は展示すべき、文物に文化を伝えさせる――李巍氏はその言葉を実行に移した。新中国成立六十周年を迎えたその年、氏は22尊の仏像を厳選して中国国家博物館に寄贈し、チベット仏教の文物コレクションを充実させただけでなく、その後の数年間においても、舟山博物館、西安国家版本館、広西民族博物館、普陀山仏教協会、吉林省博物院に、相前後して金銅仏像や法器、タンカなど800点以上を寄贈した。とりわけ、普陀山仏教協会には731尊の仏像が寄贈されたが、そのなかには永宣金銅仏像の逸品も含まれており、質量ともに世界に衝撃を与えるに足る記録的な寄贈であったと言えよう。
クリスティーズ香港(Christie's Hong Kong)は、かつて760万香港ドルという高値で、明代後期の絹製の刺繍タンカを競り落とし、また、高さわずか25.5センチの明の宣徳帝御製銅鍍金菩薩坐像を800万香港ドルで落札した。正真正銘のコレクターに対しては、「秘蔵して表に出さない」、あるいは「富は国家に匹敵する」といった言葉で形容しても過言ではないであろう。もとより、誠実さや願望は価値や数字で測れるものではない。しかし、李巍氏のように、質量ともに優れた寄付を継続的に、かつ無償でおこなうことは、まったく容易なことではない。
李巍氏が収集し、寄贈した金銅像や法器、タンカなどの逸品は、匠の技と知恵が結集したものであり、それはすなわち文化と歴史の蓄積、民族と文明の共鳴によって生み出されたものなのである。氏はわが身を顧みず、全身全霊をチベット仏教の文物収集にかけてきた。それが美による感化を受けて生まれた純粋なこだわりであるというのなら、貴重な芸術品――疑いなく本物で、誰の手を渡ってきたかも明らか、かつ文化と歴史を正しく伝えるそんな品々を無償で800点も寄贈するというのは、フロイトのいうイド(id)を超越し、ただ虚心坦懐に「得るは捨つるにあり」を体現しているであろう。
文物遺産としての価値と芸術的な価値を兼ね備えた上乗の佳作との出会い、それは奇縁であることを、李巍氏は身に染みて知っている。ひたすら逸品を追い求めて、東奔西走、南船北馬、氏が歩みを止めることはなかった。チベット仏教に関する文物の発掘と保護に専心すること半世紀、その間、生死の境をさまよったことも一度や二度ではない。そうした経験から、彼はすでに「恐怖を感じることはなく、本末の転倒した迷妄の世界から遠く隔たった涅槃の境地」に達したのかもしれない。
文史を専らにする書香の家柄に生まれついたわけでもなく、伝手やリソースに恵まれた商家の家に生まれ落ちたわけでもなく、ただ純粋にそれを大切に思う気持ちだけを頼りに、李巍氏は徒手空拳で文化財の保護と発展を探る道に打って出たのである。2021年12月、「李巍収蔵事業専家五十周年座談会」が北京で開かれた。この座談会に参加した文化観光部や国家文物局の上層部、博物館や学術界の先生や友人、芸術界や宗教界の同好の士、そして、文明を守護する李巍氏の半世紀にわたる活動に関わり、推し進め、目の当たりにしてきた人々、その一人ひとりが李巍氏の想いに胸を打たれ、感動の面持ちを浮かべたのは故なしとしない。
■研究と整理を経て伝統を伝え蒙を啓く
「刺繍タンカ芸術展~中国無形文化遺産の美~」は、角川武蔵野ミュージアムにおける中国人初の展覧会であるというだけでなく、中国の民間のコレクターが海外へと進出する先駆けともなった。さらに言えば、このたび公にされた展示品の多くは、明代の御用監や清代の製造所といった当時の絹織物と装飾工芸の粋を集めた「本国製のタンカ」ばかりである。このことは、「チベットは古来より中国と不可分の領土である」ことの証左として、世界各国に共通認識を広めることにもつながるであろう。
展覧会の会場で参加者が足を止めたのは、なにも精緻の限りを尽くした美しいタンカだけではない。李巍氏が主編者となって中国文物出版社から刊行された『錦繍大千――中国古代織繍タンカ集珍』にも多くの人が目を奪われていた。
2009年、故宮博物院と中国国家博物館の協賛のもと、中華書局から大型の図版集『漢蔵交融――金銅仏像集萃』が世界に向けて出版され、アメリカのコロンビア大学やハーバード大学など、アイビー・リーグのうち六か所の大学図書館がこれを架蔵した。そして2年後には、同じく故宮博物院と中国国家博物館の支持を得て、李巍氏が編集を担当した『金銅仏像集萃』が北京故宮博物院紫禁城出版社より出版された。
2016年に浙江美術館が開催した「漢風蔵韵――中国古代金銅仏像芸術特展」では、明清代に製作された118尊の仏像や法器の名品が展示された。それに合わせて中華書局から『漢風蔵韵――中国古代金銅仏像芸術』と題する大型図版集が刊行され、さらに博物館学分野の第一人者らを集めたシンポジウムが開かれた。これは、G20杭州サミットの開催にあたって中国文化のイメージを印象づける重要な展示会でもあった。2023年、文物出版社から刊行された『錦繍大千――中国古代織繍タンカ集珍』は、第32回「金牛杯」の装丁デザイン部門で金賞を受賞した。目下、『妙相観止――宮廷金銅仏教造像』の編纂も鋭意進められている。
中国文化の巨匠季羨林氏は「為中華文化増輝」、饒宗頤氏は「漢蔵交融」とそれぞれが揮毫し、著名なチベット学者の王堯氏、元故宮博物院院長の鄭欣ビョウ氏、チベット文物専門家の王家鵬氏、中国銭幣博物館館長の周衛栄氏といった面々が、李巍氏の携わった一連の書籍および図冊の刊行に対して配慮と指導を惜しまなかった。
厳しい風雨を耐え忍び、文物の収集に明け暮れた五十年間、それが全面的かつ多面的なチベット仏教芸術に関する大百科全書に結実したのである。豊富な史料、生き生きとした名品、巧みな技術、多方面にわたる素材、それらは非常に優れた宮廷における工芸品や民間に生きる匠の技を目の前に現出せしめるのみならず、中央政府がモンゴルやチベットの政治的・宗教的指導者を従えて団結した歴史の記録でもあり、元明清の三代における各時代の特色を備えた統治や政策の実態を反映するものでもある。漢民族がチベットの芸術に与えた美学的な影響は、漢民族とチベットに生きる人々の心理的な同調や、感情面における同一化の過程を示しており、さまざまな分野における研究の空白を埋めてくれるであろう。
何百年、何千年と横たわる「過去の聖人のために絶学を継ぐ」という思想は、具象をともなって李巍氏の背後に光り輝いている。
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角川武蔵野ミュージアムにおいて展示会開催
■取材後記
筆を擱くに際して、喜ばしい知らせが舞い込んできた。国宝クラスの展示物を数多くそろえた東方瑰宝(深セン)芸術館――二千平方メートル近い土地に七つの展示館を備える――がグランドオープンを迎え、「人々の精神を満たす深センの新たなランドマーク」にして「国際交流の重要拠点」になるという大きな期待が寄せられているとのことである。このほかにも、莫大な資金を投じて普陀山に建設予定の仏教芸術館に関する計画がすでに承認され、文物保護基金会の設立も順調に進んでいるという。
とうに古稀を過ぎた李巍氏ではあるが、何かに打ち込むべく、いまもなお「自ら悩みごとの種を探」している。幸い、先立つものは十分にあるとのことである。師友は彼を賞賛しつつ手を携え、妻子は彼をよく理解して後押しし、後学は彼を慕ってその背中を追う。李巍氏がたどったコレクションの旅路は、末長く世に伝えられ、後世の人々は永久にその恩徳に浴することとなるであろう!
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