国史跡 飯盛城跡講演会 クローズアップ飯盛城2024『飯盛城を支えたお城を考える―飯盛城と関連城郭―』を開催します

プレスリリース発表元企業:大東市

配信日時: 2024-10-07 09:53:32

令和6年10月12日(土)「大東市立市民会館2階 キラリエホール」にて開催



 
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飯盛城跡遠景【北西から】
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田原城跡【南西から】 
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龍間城跡主郭【南西から】

 四條畷市と大東市に所在する飯盛城跡は、令和3年10月11日に「戦国時代の政治・軍事を知るうえで貴重」であると評価され、両市で初めて国史跡に指定されました。令和5年度には飯盛城跡の保存・活用の基本方針となる「保存活用計画」を策定し、令和6年度は史跡整備の具体的な手法を定めた「整備基本計画」の策定に着手しています。
 この度、飯盛城跡の保存・活用事業の一環として歴史的価値を周知するため講演会を開催する運びとなりました。今回は戦国時代に政治・文化の中心地であり、重要な役割を果たした飯盛城を守るために周囲に築かれたお城=支城に注目し、野崎城跡(大東市)、田原城跡(四條畷市)北田原城跡(生駒市)など支城の調査成果のほか、歴代城主と本城・支城の関係を紹介します。

<講演会概要>
名称:クローズアップ飯盛城2024講演会『飯盛城を支えたお城を考える―飯盛城と関連城郭―』
主催:大東市、四條畷市教育委員会、大東市立歴史民俗資料館、四條畷市立歴史民俗資料館
日時:令和6年10月12日(土) 午後1時~4時30分(開場は正午から)
会場:大東市立市民会館2階 キラリエホール(JR学研都市線「住道」下車北へ徒歩10分)
〒574-0076 大東市曙町4 番6 号
★駐車場:台数に限りがあるため公共交通機関でお越しください。
定員:500人(申込不要、先着順)
参加費:無料
内容について
- 両市担当者による調査報告
- 公益財団法人元興寺文化財研究所 江浦洋氏による北田原城跡(生駒市)調査成果講演
- 天理大学 天野忠幸教授による飯盛城の支城群の講演

ホームページURL
(大 東 市) https://www.city.daito.lg.jp/soshiki/46/56471.html
(四條畷市) https://www.city.shijonawate.lg.jp/site/bunkazai-shiseki/52639.html

<参考>
国史跡・飯盛城跡
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飯盛城跡の石垣

大東市と四條畷市にまたがる飯盛山に位置する戦国時代の山城跡です。城の規模は東西約400メートル、南北約700メートルで、西日本で有数の規模を誇ります。
享禄3年(1530)に木沢長政の居城として初めて登場し、永禄3年(1560)に三好長慶の居城となりました。
石垣や曲輪、堀切などの遺構が良好に残っており、令和3年10月に大東市で初めて国史跡に指定されました。
三好長慶(1522~1564)
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三好長慶像(大徳寺・聚光院蔵)

阿波国(徳島県)出身の武将で、細川氏に仕えた後、次第に頭角をあらわし、天文22年(1553)に将軍足利義輝を京都から追放し、事実上の天下人となりました。連歌や和歌を好む文化人でもあり、キリスト教の布教にも寛容でした。永禄7年(1564)に飯盛城で亡くなりました。
「クローズアップ飯盛城2023」での講座内容の一旦をご紹介します。
飯盛城跡の歴史的価値
測量調査と分布調査で明らかになった飯盛城跡の城域は(東西 400 m、南北 700 m)西日本有数の規模を誇ります。城域のうち、北エリアは防御空間、南エリアは居住空間として機能していたことが調査成果からも想定されます。多くの曲輪の周囲には石垣が築かれており、石垣は城の全域に分布していることも明らかになりました。
石垣については飯盛城跡を特徴づける遺構であり、戦国時代末期の石垣構築技術や年代を特定できる貴重な事例であるといえます。発掘調査では、礎石が出土し瓦が発見されたことから石垣・礎石建物・瓦を導入した城郭であることが分かりました。調査成果から飯盛城跡の歴史的価値は以下の4点にまとめることができます。
- 戦国時代末期の重要な政治拠点・文化交流の場として機能したこと・戦国時代末期の重要な政治拠点・文化交流の場として機能したこと
- 戦国時代末期の城郭遺構が良好に残存し、城の機能が推定できること・戦国時代末期の城郭遺構が良好に残存し、城の機能が推定できること
- 戦国時代末期の山城における石垣の使用と構築技術を示す貴重な事例であること・戦国時代末期の山城における石垣の使用と構築技術を示す貴重な事例であること
- 石垣・礎石建物・瓦を導入した城郭であること・石垣・礎石建物・瓦を導入した城郭であること

飯盛城跡は織田信長によって完成される「織豊系城郭」に先行して石垣・礎石建物・瓦の3つの要素を取り入れた稀有な事例であり、城郭史上の画期に位置づけられる戦国時代末期の時代の変化を考察する上で、重要な遺跡といえます


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