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「かかりつけ医」の診療報酬加算も制度化は拒む、「日本医師会」の支離滅裂!
新型コロナウイルス感染症は、世の中に多くの不安と不自由な生活を強いてきたが、今まで漠然と感じていた「当たり前」が、実は根拠のないものだったと教えられる機会でもあった。
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その1つが「かかりつけ医」問題だろう。「かかりつけ医」という言葉には、体調の不安に苛まれている患者の心に、「いつもの先生に診てもらえる」という漠然とした安心感をもたらす効果があった。産婦人科医は、飛び込み出産の担当を好まないという。個々の妊婦が抱える固有の状態に対して一切の知識を持たなければ、安全な出産が担保できないという医師としての責任感の裏返しでもある。
厚生労働省が「かかりつけ医」の大事さを説いた時にも、日本医師会が作成して全国の医療機関に掲示された「かかりつけ医をお持ちですか?」というポスターを目にしても、違和感なく受け入れられた背景といえる。
コロナ禍で問題になったのは、日頃定期的に診察を受けていた診療所が、発熱した馴染みの患者の来院を忌避し、診察を拒んだり、自宅で療養する患者への往診を避けようとする行為が数多く報告され、目に余る状態になったことだ。
一般の診療所は常勤医師が1人だけの所がほとんどで、狭隘な施設の構造が院内の感染防御を難しくするという面は確かにあった。だが一方的に来院を拒むばかりで、地域の医師会が連携して対応したという事例も耳にすることがなかったから、医師に対する失望感はいや増した。
英国の場合、患者は原則として主治医の登録がされた家庭医クリニックしか受診できないが、複数の医師がチームを構成して休日も稼働し、外部の夜間専門サービスとも連携して24時間切れ目なく対応してもらえる。日本では、診療科目を患者が選んで、診療時間の制約を受けながら、夜間の突発事態には遠くで馴染みのない救急病院に行かなければならないから、大きな違いだ。医療システムが国によってこんなに違うこと、充実していた筈の日本の医療の現実を思い知らされたのは、コロナ禍の「おかげ」だろう。
日本では「かかりつけ医」を申し込むことも、登録することもなかったから、実質的には患者の片思いだったことが明らかになった。医師の方も個々の患者に「かかりつけ医」就任を了解した覚えがないから、来院を拒むことにも一切の呵責がなかったように見える。
日本にはコンビニの5万6000店舗を遥かに上回る7万もの内科系診療所がありながら、発熱外来として登録されたのは3万5000施設で、その内1万2000施設は都道府県の発熱外来施設への掲載を拒んでいたという。
問題なのは、日本医師会や厚生労働省が「かかりつけ医」と位置付けて、要件を満たす診療所には診療報酬が加算されていたことだ。日本で古くから言い慣わされて来た言葉で表現ですると、まるで「やらずぶったくり」だ。
4月13日の経済財政諮問会議で岸田首相が、「かかりつけ機能が発揮される制度整備等、医療・介護サービス改革の継続・強化に取り組む」と語ったことに対して、27日の記者会見で日本医師会の中川会長が「かかりつけ医は定量的に測れるものではなく、全国一律でもない」と早速反対した。
2017年12月8日付けの、「地域包括ケアシステムにおけるかかりつけ医の役割」という日本医師会鈴木邦彦常務理事名の資料には、日本医師会が「かかりつけ医機能」の維持向上を図るべくいかに努力しているかということが詳細に記載されているにも拘らずである。
ヒンシュクを買っている当事者が、自ら名乗り出て反論するのだから、今までの経緯に対する知識も配慮もなく、ましてや反省する気は毛頭もないということだ。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)
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