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カラテカ矢部さんに共感、「何が人生で役立つか」はわからない
お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さんが、自身が暮らす新宿の一軒家での、大家さんとの日常を描いた「大家さんと僕」という漫画作品で、「第22回手塚治虫文化賞」の短編賞を受賞しましたが、その時のスピーチの内容がとても素晴らしかったと話題になっています。
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私もその全文を読みましたが、芸人なのに「人前で話すのは苦手」といいながら、ご本人の人柄がにじみ出ていて、純粋に感動する良いお話でした。
その中でも、私が特に共感した一節があります。その部分を紹介させて頂くと、
「人生何があるか分からないとよく言いますが、中学生の頃、図書室でひとりで『火の鳥』を読んでいた僕が、いまここにいるなんて思いもよらなかったですし、芸人になって長く経ち、次第にすり減り、人生の斜陽を感じていた僕がいま、ここにこうしていることも、半年前には想像もつきませんでした。
それでも、あの頃、全力で漫画を読んでいたこととか、芸人として仕事をして創作に関わってきたこととか、子供の頃、絵を描く仕事をする父の背中を見ていたこととか、なんだかすべては無駄ではなく、繋がっている気がしています。それは僕だけじゃなく、みんながそうなのではないかとも思います」
と言っていました。
何がどう転ぶかは、どんなに計画や想定をしても思い通りにはならないですし、自分のやってきたことや関わってきたことが、いつ何がどう活きてくるかは本当にわかりません。
私がそれを強く感じるようになったのは、独立して仕事を始めてからが特に多く、以前は何も意識していなかったことが、実はこんな場面で活きるのだと思うことが、とてもたくさんあります。
会社勤務の頃に、新卒採用の関係で参加していた大学関係の懇親パーティーの参加経験が、独立してからの異業種交流会や名刺交換会で活きたり、父親のやっていた仕事が、実は今の自分の仕事と本質的な部分で似ていたり、ほとんど接点がないと思った人との出会いが、その後ずいぶん経ってから大きく花開いたり、本当に人生で何が起こるかは予想がつきません。
もう10年以上前の話になりますが、新卒採用で出会った学生たちが、「自分はこの仕事しかやりたくない」「この会社以外は嫌」「向いているのはこれ」など、自分のキャリアをものすごく狭い範囲に限定している様子を見たことがありました。
それは自己分析などを経て絞り込んだ結果なのかもしれませんし、そうやって自分の道筋をはっきり見出すことが良いのかもしれませんが、逆に自分の可能性を狭めていて、好奇心も失っているように見えました。その当時はずいぶんもったいない考え方だと思った記憶があります。
ただ、これも一度絞り込んだおかげでその後の視野が広がるのかもしれませんし、本当の天職に出会ったのならば、それが最短距離で良かったのかもしれません。
これらの選択も巡り合わせで、そこからいつ何がどう転ぶかは、本当にまったくわかりません。
そんな私の結論は、あまり余計な先読みをしたり、変な下心で行動を変えたり、計算高く振る舞ったりすることは、ほとんど結果につながらず、あまり意味がないということです。
自分の仕事のことで言えば、「案件があるかも」「付き合っておくとメリットがありそう」など、下心を持って近づいた人との縁はほとんど実らず、逆に何も考えずに付き合っていた人から、忘れた頃にある日突然連絡がきたりします。
人付き合いに関しては、私は「あれこれ余計なことを考えず、流れに任せてできるだけ多くの人と付き合うこと」が、一番だと思っています。
こんな仕事のことに限らず、どんなことでも、矢部さんが言っていた、「なんだかすべては無駄ではなく、繋がっている気がしています」という言葉は、本当にその通りだと思います。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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