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「年配言葉なら許されるのか?」という指摘への納得
ある新聞の投書欄で、「年配言葉ならば許されるの?」という中学生からの投稿を目にしました。
「ヤバい」「ムカつく」など、いわゆる若者言葉を「言葉の乱れ」などという指摘がされますが、この投稿者は若者に通じない「年配言葉」というものがあり、それが不親切だという提起をしています。
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「年配言葉」と言っているのは、一昔前のギャグ、最近あまり使わない古い言い回しなど、もっとわかりやすい別の言葉があるにもかかわらず、あえてその言葉を使って、それを若者が理解できないと、「こんなことも分からないのか」という言葉を浴びせるそうです。
確かに若者が無教養なのかもしれないけれども、同じ世代でしか伝わらないような言葉は、その人たちが批判している若者言葉と同じではないかと指摘しています。
世代の違いを批判するのでなく、もっとお互いの言葉の使い方を考えてみてはどうかと述べていました。
こういう話を聞いて、私はまったくその通りだと思います。
コミュニケーションというのは、相手の考えを理解し、自分の考えを相手に理解してもらうことですから、お互いが理解し合えるように歩み寄ることが必要で、「理解できない相手が悪い」などと、どちらかを一方的に批判するのは的はずれです。
世代の違いを批判するのは、だいたいが年長者から年下への批判ですが、それは何の解決にもつながりません。
同じような話は、会社の中でも本当にたくさんあり、例えばビジネスマナーなどでも論争になることがあります。
私自身を含めた周りでよくあるのは、「電話」にまつわる話です。
誰でも携帯電話を持つようになり、本当にいつでもどこでも電話がつながる環境ですが、だからといって、そんなにいつでも電話に出られる状態とは限りません。
私の場合は顧客へのコンサルティング、講演、研修、その合間の交通機関での移動、その他ミーティングなど、電話に出られない、かけられないタイミングが非常に多くなります。自分が主体で話さなければならない最中に、電話応対で割り込むことはできませんし、それをやってしまっては、目の前の相手に対して、とても失礼なことだと思っています。
電話のために中座したり、ところ構わず声を出して話すのも、あまり好ましい光景とは思いません。
逆にショートメールなどであれば、短時間の割り込みで対応できるので、その方が早く要件が済んで効率的なことが多いですし、やり取りをした記録が残ることも間違いを減らす上ではメリットです。個人的には備忘録の意味でも、文字でのやり取りが好ましいです。
最近は多くの人がそういうことを理解した対応をしてくれますが、そんな中でもいまだに電話偏重という人がいます。どう考えても電話で話さずに済む要件なのに、たぶんテキストをタイピングするのが面倒とか、そういう理由で電話をしてきます。
どちらかというと、やはり年配の人の方が多く、業界による違いもあります。
一昔前であれば、直接話すことが礼儀やマナーとして正しい、良いコミュニケーションだという考え方がありましたが、今は電話が「相手の時間を奪う行為」という考え方があります。相手の状況を問わずに割り込み、それにかかり切りにならざるを得ないからで、「電話野郎」などという言葉で批判する人もいます。
このように、言葉使い、マナー、コミュニケーションの方法などは、時代とともにどんどん変化していきます。
そして、その時点で「正しい」とされるものはありますが、例えば200年前の日常会話がたぶん今の世の中では通じないように、何が正しいのかという基準も、時代とともに変わっていきます。
そう考えれば、自分が「正しい」という前提による一方的な相手批判は、やはりあまり適切とはいえません。
投書した中学生が言うように、もっとお互いが考える必要があるのではないでしょうか。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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