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うまくいかない理由に「やる気」を持ち出すと思考停止に陥る
「やる気がない」と他人を批判したり、「やる気が出ない」と自分の気が乗らないことを愚痴ったり、うまくいかない理由に「やる気」を持ち出すことがあります。
典型的なものでは、仕事の期待値に足りていない部下に対して、その理由を「やる気が見えない」「やる気が足りない」などと指摘するような場合です。仕事に向き合う姿勢を見ての批判であることが多いようです。
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しかし、「やる気」という尺度で人の行動を測るのは、私は適切ではないと思っています。「やる気」というのは、ほぼ個人の主観でしかないからです。あくまで主観ですから、例えば本人はやる気満々で取り組んでいても、他人から見るとやる気がなく見えたりしますし、本人は気負わず普通にやっているだけなのに、他人からはやる気があるように見えることもあります。
「やる気」は本人のその時の気分の問題ですから、他人から「やる気がない」と指摘されたからと言って、仮にそれを素直に受け止めたとしても、急にやる気が出るように切り替わるものではありません。そもそも“やる気の有無”などというのは、本人しかわからないことであり、他人から指摘されて気づくようなものではありません。
ここで何が言いたいかというと、「やる気」という言葉を使って他人の行動を批判したり指摘したりしても、当の本人はどうすればよいのかわからないということです。
「やる気がなさそうに見えるが、何かあったのか?」と尋ねるならまだわかりますが、批判や指導や激励として「やる気を出せ」などと言われても、急に気分が盛り上がってやる気満々になることはありません。
先日も、なかなか期待通りに成長しない部下に対して、その理由を「やる気がないから」というマネージャーがいました。しかし、ここで「やる気」を理由に持ち出してしまうということは、成長の遅さを本人だけの責任に押し付けていることであり、指摘された本人にはそんな自覚がないことも多く、何をどうすれば良いのかわからなくなってしまいます。
マネージャーは自分基準の「やる気」を持ち出すことで、部下のパフォーマンスが上がらない本当の理由を考えることを止めていますし、言われた部下も、もし「やる気」があるのにこう言われたのならば心外なだけですし、逆に「やる気」がない自覚はあったとしても、具体的にどうすれば気分が変わるかという策があるわけではないでしょう。
つまり、「やる気」という言葉を使った批判や指摘は、それを言う側も言われる側も、結局は思考停止に陥ってしまうということです。
「やる気があるのか」「やる気を出せ」という叱責や、「やる気が出ない」「やる気が起きない」という自身の言い訳は、ついつい言ってしまいがちですが何一つ問題の解決には向かいません。
「やる気」を言い訳にした目標未達、「やる気」を指標にした行動評価は、本当の原因や理由を覆い隠します。うまくいかない理由に「やる気」を持ち出して、思考停止に陥らないように十分注意しなければなりません。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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