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「人の好き嫌い」という感情で仕事が左右されている自覚はあるか
誰にでも人の相性はあり、得意な人や好きな人、苦手な人に嫌いな人はいると思います。
私自身のことで言えば、鈍感なところがあるのか善意の解釈ができるのか、幸い決定的に嫌いというような人に出会うことはめったにありません。
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私の場合は、一方的に自分の都合を押し付ける人、強引な人、上から偉そうな態度で接してくる人が嫌ですが、そういう人があまり周りに寄ってこないのは、私があまり言うことを聞かなさそうに見えるのか、それとも生意気そうに見えるのか、その理由はよくわかりませんが、そういう人たちが近づきにくい何かしらの雰囲気があるようです。これは自分にとっては都合が良いことなので、これはこれで良しとしています。
人事の仕事をしていると、この「人の好き嫌い」という話には、意外によく遭遇します。仕事上での「人の好き嫌い」というのは、建前で言えば「大人であれば、それは仕事として理性的に振る舞うことが当たり前」となりますが、いくら理性などと言っても実際にはそう簡単ではありません。会社の公式な人員配置や職務分担でも、人間関係の要素として「人の好き嫌い」を配慮することがあるくらいですから、建前だけではどうしようもない部分です。それぞれの人の感情は簡単に変えられるものではありません。
よく「苦手な人と仕事をしていくためにはどうすれば良いのか」などと質問されることがありますが、これについては建前と同じような答えをするしかなく、「嫌いなものを好きになることは難しいので、無理に感情を変えようとせず、理性的に仕事上で必要なコミュニケーションをとっていくこと」しかありません。
ただ、私が今までの経験でよくあったのは、他人から見ると感情的に嫌っている様子が態度や言動からも明らかにわかってしまうにもかかわらず、本人はすこぶる理性的に振る舞っていると思っている場合が多いということです。
これはずいぶん前にあったことですが、ある会社の一部署での席替えを検討していたとき、一人の社員が「○○さんが近くにいると目障りで仕事がはかどらないので、自分の視野に入らない場所の席にしてほしい」と真顔で言ってきました。
こちらは「そんな個人の感情だけの大人げない一方的な話には配慮しない」と突っぱねましたが、その社員は「なんでこんな当然なことをわからないのか」と言わんばかりに、明らかに納得できない不満そうな顔をしています。
その時はあえて説明せずに押さえつけましたが、その社員の態度を後からよく考えてみたときに、たぶん本人は自分の仕事に悪影響があるということを、あくまで理性的、論理的に話したつもりだったのではないかということです。私は「目障り」などと言ってくること自体、感情まかせの歪んだ態度と思いましたが、社員にはそれが感情的などと言う自覚はまったくなかったのではないでしょうか。
このように、自分自身の考え方が理性的なものなのか、それとも感情から出たものなのかを自覚するのは、なかなか難しいことのようです。本人は理性的で妥当な判断と思っていることが、実は感情主導だったということはままあります。好きな同僚や部下を自分の配下にまとめていたり、逆に苦手な同僚や部下とはコミュニケーションが少なかったり自分から遠ざけていたりして、その理由をいかにも合理的、理性的だと説明しますが、私が経験した「目障りで仕事の能率が落ちる」といったレベルの話だったりします。
私は人の好き嫌いがあることも、それで感情に左右されることがあるのも仕方がないと思っています。ただ、その感情をいかにも理性的だと言って覆い隠すことは感心しません。
理性も感情も、自覚する努力をしなければ、その偏りはどんどん大きくなります。そしてあまりにも感情に偏っているとみられると、その人は仕事の上での信用を失います。感情に左右されすぎていないかを自覚することは、難しいことですが大切です。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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