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私が「転勤制度」に昔から持っていた違和感
最近、有名大学の高学歴の女子学生が、一般職での就職を希望する例が増えているという話があります。
「結婚や出産を経ても働き続けたい」と、仕事に対して前向きに考える女性ほど、総合職で転勤や長時間労働を求められては長く働くことが難しいと考えて、一般職を希望するのだそうです。ただ、一般職になれば確実に長く働けるかというと、事情はそれほど単純ではないでしょう。
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また、「転勤制度」については、企業側でも見直しを考え始めるところが出てきており、厚生労働省でも会社が社員の転勤の在り方を見直す際の参考資料として、「転勤に関する雇用管理のヒントと手法」を公表しています。
見直しの理由は、やはり昨今の雇用環境の変化ということで、終身雇用が崩れて転職が増え、人材不足の傾向も進んでいるということで、今までのように一方的な会社命令で転勤させることが難しくなっているということがあります。
これは私自身のことですが、新卒時の就職活動でも、転勤や職場の関係で住む場所が変わることは、できる限り避けようと思っていました。そうなると、全国展開している大企業でそれを実現することは難しく、必然的に拠点の少ない中小企業が対象になります。
もちろんいろいろな会社を受け、その会社で本当にやりたいことがあれば、働く場所は妥協しようと思っていましたが、そこまでと思える会社はありませんでした。
当時の私の周りにも、転勤族と言われるような人はたくさんいましたが、みんなどう見ても大変そうで、転勤を喜んでいる人は一人もいませんでした。家がある、家族がいるという人は特にそうです。子供たちは学校を転々としたり、単身赴任で家族が離ればなれになったり、生活の基盤が崩されます。
誰も口に出しては言いませんでしたが、やはり前向きな気持ちではなく、仕方がないと我慢して転勤を受け入れていたのだろうと思います。もちろん、みんながみんなそうだとは言いません。自分から望んで転勤したという人も、いろいろな場所に行った経験が今となっては良かったという人もいるでしょう。
ただ、これは私が昔から思っていたことですが、「住む場所」というのはその人のプライベートも含めた生活全般において、基本中の基本の部分だということです。そして私が「転勤制度」に対して違和感を持つ理由は、この「人が生活する上で一番の基本となる“住む場所”を、会社の一方的な都合で振り回すから」ということです。
もしそれを受け入れるならば、それに見合ったメリットがなければなりません。かつては雇用の安定や昇進のチャンスなどというものがあったでしょうが、今はそうではありません。一生懸命に転勤を受け入れていた人が、急に肩たたきにあうような時代です。どう考えても割に合いません。
しかし、日本の判例では、よほどの不合理がなければ会社からの転勤命令は広く認められますし、転勤拒否を理由にした解雇も認められています。「転勤制度」は“解雇を避けるための必要悪”との話もありました。
ただ、今のような「転勤制度」は、私はもうとっくに見直す時期になっていると思います。
最近の例では、無用な転勤を減らすために他の方法での人員調整を検討したり、転勤するにあたっては本人の同意を前提にして、期間やミッションを明示したりという動きが出てきています。
転勤のおかげで経験が積めた、良かったという人はいるでしょうが、それは最終的に本人の意思と合致したからということに尽きます。そうでない人を会社の意思で一方的に「転勤」させるというのは、普通に考えればずいぶん乱暴なことです。個人の生活の一番の基盤である「住む場所」を、強制的に変えさせるということだからです。またそれが今までは許されてきたということです。
こういうことの見直しも、「働き方改革」に含まれるのだろうと思います。今までのやり方にこだわっていると、これからはどんどん遅れを取ってしまう時代になってきています。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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