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「スポーツ嫌い」の理由とある人の“退職理由”が似ていると思ったこと
「スポーツ嫌いダメ? 国の目標波紋」という新聞記事がありました。
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スポーツ庁の昨年度の調査によると、運動やスポーツが「嫌い」か「やや嫌い」な中学生は16・4%と微増傾向にあり、このままでは将来運動しない大人が増えてしまうということで、同庁は5年かけて8%に半減させる目標を「スポーツ基本計画」の中で打ち出したということです。
この計画が報じられると、ネットを中心に「強制しないでほしい」「よけい嫌いになる」「嫌いで何が悪い」など、一部で反発の声が上がっているということです。
記事によると、スポーツが嫌いになった理由には、どうも体育の授業が原因になっていることがあるらしく、「恥をかかされる」「周りに迷惑をかけている申し訳なさ」「馬鹿にされているのだろうという自虐」など、苦手なことを強制されることでのネガティブな感情や、「体を動かすこと自体が嫌いなわけではなく、うまい人とやるから嫌いになる」」「レベル別に完全に分けてくれればいい」という話もありました。
これを見ていて思ったのは、数年前にある会社の退職希望者が言っていた“退職理由”に似ていたということです。
どちらかと言えば目立たない、自分に与えられた仕事を真面目にコツコツこなすタイプの人でした。社内でそれほど高い評価を得ているということはありませんでしたが、かといって能力が低いということもありません。
少し地味だが平均的な人材という見方をされている人でしたが、この人から急な退職希望があり、理由を聞いた時に言っていたのが、次のようなことでした。
「周りのレベルについていけない」
「みんなに迷惑をかけている」
「もう少し自分のレベルに合った会社に転職する」
会社からは「レベルが低いなんていうことはない」「迷惑などかけていない」「能力は十分にあると評価している」などと説得しましたが、結局翻意することはなく退職していってしまいました。
この時は、辞めてしまった理由をそこまで深く検証することはありませんでしたが、今回あらためて、この人が言っていたことを「スポーツ嫌い」の理由と重ねてみると、いくつも思いあたることが出てきます。
例えば、地味で真面目な人なので、上司からは「もっと前に出ていくように」「もっと率先して」といわれることがよくありました。たぶん自分では苦手だと自覚していることを、強制されている感覚でしょう。
また、この人の周りには、どちらかと言えば上昇志向や自己主張の強いタイプの人たちが何人もいました。だからこそ、この人がいることで全体のバランスがとれていたわけですが、そういう評価をきちんと本人に伝えていたかと言えば、それは全く不足していました。そのせいで、本人としては「自分が劣っている」「迷惑をかけている」という自虐的な感覚を持ってしまったのだろうと思います。
自分よりもレベルが高い集団に混じることで、自分自身もレベルアップできるということはあります。ただし、自分の優れているところが自覚できておらず、劣っている部分ばかりがクローズアップされ続けたとしたら、得意なことはあまり評価されている実感がなく、苦手なことばかりが強制されていたとしたら、その会社、その仕事が嫌になってしまっても無理はありません。
評価している部分をもっと本人にはっきり伝え、得意なことを伸ばす取り組みも合わせて行い、タイプが違う周りの人とは比べずに指導するということをしていれば、この退職という結果はもう少し違っていたかもしれません。
人が何かを嫌いになってしまう理由というのは、その対象は違っていても、意外に共通していることが多いのではないかと思った一件でした。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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