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なぜ「インセンティブ」が「インセンティブ」にならないのか
インセンティブとは、奨励や刺激、報奨を意味しており、会社においては、社員に刺激を与えてやる気を起こさせることをいいます。
私の知人のある社長は、社員のモチベーションを大きく上げるため、この夏の賞与を思い切って増額するつもりだそうです。増額分は高評価者を中心に振り分け、それまでの努力に報いることを見せつけて、多くの社員のやる気アップにつなげたいとのことです。
「インセンティブがなければ、人は行動しない」「だから経営者はインセンティブを用意しなければならない」と考え、そのための投資の位置づけだということです。
産業再生機構のCOOを務められた冨山和彦氏の著書の中に、「人間はインセンティブの奴隷」という言葉があります。「人は自分がやりたいと思うことに忠実に従う」ということで、動機が不十分では自分の目的達成を優先するので、会社は社員のインセンティブと会社の方向性を合わせなければ、社員の本当の力を発揮させることはできない、という話です。
この言葉からすれば、「インセンティブを用意する」というのは正しいことです。私もインセンティブは間違いなく必要だと思います。
ただ、私が昨今の企業の人事管理の現場を見ていて、前述の社長のやり方で、思い通りの効果を発揮することは、たぶん難しいだろうと思います。
その理由は、用意されたインセンティブが「お金」だけだからです。しいていえば、それにつながった「名誉」と「優越感」くらいはあるかもしれません。
ここで、「お金をもらって困る人はいないだろう」と言われれば確かにそうですし、「お金をもらえばうれしいだろう」と言われれば、まぁ不機嫌になる人はいないでしょう。ただ、だからといって、そのためだけに一生懸命働くようになるかと言えば、それはまた別の問題です。
20代、30代の若い世代では、よく「物を買わなくなった」などと言われますが、自分にとって必要なものについては、積極的に消費をします。ただし、必要な物は人によって様々で、テレビやパソコン、冷蔵庫といったものでも不要という人がいます。
もちろん将来に備えて貯金したりもしますが、何か目的がある訳ではないので、それほどの執着はありません。どうしても欲しいものは、それほど数は多くなく、「いまたくさんお金をもらっても、どうしてよいかわからずに困ってしまう」などという人もいます。
要は、大勢の人に共通した「インセンティブ」になり得るものが、なくなってきているということです。
かつては「お金」や「役職」「地位」「肩書」などが共通的なインセンティブになっていましたが、今はそうではありません。「お金」よりは「時間」や「場所」や「仕事内容」であったり、「会社のため」よりは「社会のため」「家族のため」であったりします。「役職」に就くことを嫌がり、あえて良い評価を望まない人がいます。
しかし、いま会社の経営にあたっている世代の人は、そういう発想がなかなか理解できません。そもそも企業の中で一定以上の地位に達した人たちですから、会社が用意した「給料」「地位」といったインセンティブに魅力を感じ、それに忠実に応えて、なおかつ勝ち残ってきた人たちです。自分の成功体験とは正反対の価値観を、理解できないのは無理もありません。
今の時代、万人にまんべんなく受け入れられるインセンティブは、なかなか見つけられなくなっています。ここ最近で従業員満足度が高いといわれる会社では、社員一人一人に細かく向き合って、限りなく個別論でのインセンティブを用意しています。
人の嗜好や行動を“マス”でとらえようとする考え方は、私はもう成り立たなくなっていると思います。手間はかかっても、多くの人の気持ちを網羅できる多様なインセンティブが用意できる、そんな仕組みと風土を実践できる会社しか、生き残れなくなってくるのではないでしょうか。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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