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「責任を取って辞める」は正しいことなのか
少し前にある会社から聞いたお話です。
新規事業の立ち上げを主管していた部長が、「業績不振の責任を取って辞める」のだそうです。確かに当初の計画目標にはまったく達しておらず、事業がうまくいっていなかったことは間違いありません。
行動が遅れがちでタイミングを逸していることが多かったり、優先順位が低いと思われることに手をかけすぎていたり、仕事の進め方自体に問題があったことは否定できず、この部長に結果責任があることは確かです。
ただ、実際に事業を立ち上げてからはまだ一年弱で、見切ってしまうにはあまりにも早いタイミングです。実際に経験してきたことでのノウハウの積み上げはあり、それらをこれからどう活かしていくかという検討を始めた矢先の唐突な退職の申し出だったので、会社として大変困った事態になってしまいました。
ちなみに、この部長はすでに次の転職先を決めていて、そこで“一から”出直すのだそうです。入社日も決まっていて、退職を慰留する余地もありません。本人によれば、「引き継ぐようなことはほとんどないので、今すぐに自分が退職しても迷惑をかけることはない」ということだそうです。
この時は、何とか社内の別のマネージャーに兼務させることで、この事業は継続できることになりましたが、当初の計画からはかなり縮小方向での見直しをせざるを得ず、ケチがついた形になったこの事業は、その後もほとんど利益を生むことがなく、結局は別会社に事業売却することとなってしまいました。
ここで私が考えたのは、「仕事の責任」とはいったい何なのかということです。
この部長は「責任を取って辞める」と言っていますが、それが本当に責任を取ることにつながっているのだろうかということです。
確かに、社長や経営陣が、業績不振や不祥事の「責任を取って辞める」という光景は、ときどき見られることです。それまで責任を負っていた者が退場することでけじめをつけ、人心一新、心機一転で新たな人たちが取り組むことによって事態の改善を図ろうという方法は、十分に理解できますし、それなりに効果を生むこともあるでしょう。
ただ、この部長の場合は、これらとは少し事情が違っています。
まず、経営陣ではなく雇われている立場の部長が、誰からも辞めろと言われていないにもかかわらず、自分だけの判断で「責任を取って辞める」と言っています。さらに身の振り方まですでに決めていて、給料が大きく下がるようなことでもない限りは、自分が負う傷はたぶんほとんどありません。
これを周りの多くの人から見れば、「責任を取って辞めた」というよりは、「責任を放棄して逃げた」と言われても仕方がないでしょう。
私は「辞める」ということが本当に「責任を取る」ということにつながっている場合は、実はものすごく少ないのではないかと思っています。
「責任を取って辞める」という立場の人は、ほとんどがもうすでに社会的な地位を十分に築いた人たちであり、収入面や社会的な立場として多少のマイナスはあったとしても、それが致命傷になることはほとんどありません。一般社員がある日突然無職、無収入になるのとは訳が違います。
また、相応の高い地位の人であれば、辞めることでけじめをつけて後進に道を譲るというような効果はあるでしょうが、現場の実務にかかわっているような立場の人はそうではありません。自分の力不足がマイナスに働くことが明らかで、自分よりも有能な後任がいるというようなことでもない限り、辞めて責任をとれることはありません。
最近、大臣、議員、官僚といった人たちが、「責任を取る」という名目で辞める、辞めないという応酬をよく見かける気がします。実際に辞める人からしがみつく人までいろいろですが、それで「責任を取った」と言える人は少ないと思います。
世の中の大多数の人の場合、私は「周りの理解と支援を得る努力をしながら“続ける”」ということが、責任を取るには一番ふさわしい行動のように思います。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。
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