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理論経済学者の宇沢弘文氏死去、何度も日本人初のノーベル経済学賞候補に
【9月28日、さくらフィナンシャルニュース=東京】
宇沢弘文東京大学名誉教授が、9月18日午前4時49分に脳梗塞のため、東京都内の自宅で死去していたことがわかった。
鳥取県生まれで、東京大学理学部数学科を卒業後に、経済学専攻に転向し、1956年にスタンフォード大学で助手として渡米して研究を始めると、最適成長論や二部門成長論といわれる分野での研究業績で頭角を現し、59年にスタンフォード大学助教授、60年にカリフォルニア大学バークレー校助教授、61年にスタンフォード大学准教授などを経て、64年に36歳の若さでシカゴ大学教授に就任した。
68年に東京大学経済学部助教授として帰国し、翌年に教授に就任。日本に帰国後は、環境問題に関心を持ち、「社会的共通資本」の整備の必要性を説き、「成田空港問題円卓会議」を同僚だった隅谷三喜男東京大学名誉教授などと学識経験者(隅谷調査団)として主宰、農家と国の間の調整役を引き受けるなど、多方面で活躍した。
東大定年退職後は、新潟大学や中央大学を経て、同志社大学社会的共通資研究センター長に就任。国際学会のエコノメトリック・ソサエティーの会長や、理論・計量経済学会の会長を務めたほか、長年、日本人初のノーベル経済学賞候補として名が挙がっていた。1983年に文化功労者、1997年に文化勲章を受章。
『自動車の社会的費用』(岩波新書、1974年)、『近代経済学の再検討―批判的展望』(岩波新書、1977年)などの著書がある。【了】
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※この記事はSakura Financial Newsより提供を受けて配信しています。
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