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政治家に訊く:長島昭久民主党衆議院議員(3)「安倍総理は、歴史法廷の被告席に座る覚悟があるか」
【9月18日、さくらフィナンシャルニュース=東京】
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14日、第10回「日韓交流おまつり」がソウルで開かれ、韓国のユン・ビョンセ外相が出席した。ユン外相は、旧日本軍の従軍慰安婦問題など歴史認識で日本に厳しい姿勢を取り続けてきたことで知られる。だが、おまつりでは、別所浩郎駐韓日本大使と並んで日韓の伝統芸能の舞台を観覧。その後、約20分間の初会談に臨んだ。韓国との関係改善はなるのか?
SFNでは、安倍政権の対アジア外交について、米国の事情にも精通している民主党の長島議員に話を聞いた。今回は第3回目である。
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■ようやく機が熟した
横田 会談後、ユン外相は「韓国政府は歴史問題と他の分野を結びつけない」と強調したそうです。また、文化交流などを通じた関係改善に意欲を示したという報道もあります。韓国が態度を軟化させた背景には何があると思われますか?
長島 日中も日韓も、ようやく機が熟してきたということではないでしょうか。
ユン外相は確かに対日強硬派で知られていますが、基本的には外務官僚ですから、青瓦台(大統領府)の意向を忖度してきたと見ています。その意味で、ユン外相が柔軟姿勢を示したということは、朴槿恵大統領の姿勢が変化してきたことを物語っていると思います。その変化は、8月15日の光復節(韓国の終戦記念日)の式典の演説にも表れていました。
ただし、本来であれば昨秋にも関係改善の機会は到来していました。
中国では「周辺外交座談会」が開催され、習近平主席が対日改善の方針を示唆していました(その直後に日本から経済ミッションが大挙して訪中し次世代ホープの汪洋副首相と面談し雪解けを演出した)し、韓国でも『朝鮮日報』の論説室長までもが自らのコラムで朴政権の頑なな対日強硬路線に転換を求めていました。
それから半年余の時を経てようやく機が熟したと言えます。
その間に安倍首相による靖国参拝があったことは周知の事実です。また、日韓関係を巡っては、二つの事柄が関係改善を後押ししたと思います。
それは、「河野談話」の再検証およびその報告書公表と『朝日新聞』による「吉田証言」記事撤回です。これによって、「日本軍(政府)=従軍慰安婦=悪魔の性奴隷」といった国際的なデマゴーグが急速に根拠を失っていったわけです。韓国側としても、そのロジックを前提にした対日補償請求にこだわる外交方針を転換せざるを得なくなったと見ています。
安倍政権としても、野田政権の下で非公式に検討されていた慰安婦問題解決に向けた善意の努力を土台に、来年の日韓国交正常化50周年を見据えて、未来志向の関係強化に向けたイニシアティヴを発揮し得る環境が整いつつある。
■中国が仕掛ける「三戦作戦」
横田 長島さんは以前から、「これ以上の日韓関係の悪化はない」、「今後(日韓関係)はずいぶん和らいでいくのではないか」と、発言なさっていました。実際、その通りになっています。
長島 安倍政権にとって、最大の「課題」は、周辺諸国がこれだけごたついている中で、集団的自衛権の問題を含めた安全保障政策の構造改革を進めていくことです。
そのためには、歴史問題については、ある程度「自重」しなくてはいけない。私は、安保改革を確立するまでは、「靖国参拝を封印」していただいてもいいとすら思っていました。
「あの安倍総理が、ここまで気を遣っている」
という姿勢を見せることで、中韓はもとより、米国の支持をとりつけやすくなりますし、安保改革も前進します。
しかし、靖国参拝を強行してしまったために、米国からの不信をはじめ世界中メディアから警戒の目で見られるようになってしまった。中国の海洋における強硬姿勢こそが我が国の安保改革を促す最大の要因であったはずなのに、その中国による対日悪宣伝の格好の餌食になってしまうとは、あまりに皮肉なことです。
中国は、一昨年の尖閣「国有化」以来、日本の正当性を貶めるために、「三戦」といって法律戦、輿論戦、心理戦を盛んに仕掛けてきていました。日本が日清戦争末期に強奪した尖閣諸島を国有化したことは、戦後秩序に対する挑戦だと世界で喧伝しました。
しかし、アジア太平洋地域における戦後秩序を確立したサンフランシスコ平和条約は日本の尖閣領有を認めているのです。南シナ海も含め戦後秩序に挑戦しているのは中国の側であるのに、安倍首相の靖国参拝が「中国の宣伝工作に利用されてしまう」(リチャード・アーミテージ元米国務副長官)余地を拡大したことは間違いないでしょう。
そのことは、1月のダボス会議(=世界経済フォーラム年次総会)での安倍さんの次のような発言が世界的に波紋を呼んでしまったことに端的に表れています。
「今年は第一次世界大戦から100年を迎える年。当時、英独は大きな経済関係にあったにもかかわらず、第一次大戦に至った経緯があった」
という話を、安倍首相は海外記者との懇談の席でしました。
歴史的には意味のあるアナロジーではあったのですが、国際社会からは「極右」として目をつけられていたので、「彼は何を言っているんだ」と、大騒ぎになった。ヨーロッパもアメリカも激しく反応しました。外国人記者からの質問が、
「日本と中国の関係は戦争に発展する可能性があるのでは?」
というものだったので、
「日本は中国と100年前のヨーロッパと同じように戦争するつもりなのか?」
と、かなり穿った見方をされた。
この騒ぎを受けて、安倍さんも、相当考えられたのではないでしょうか。
また、時間は前後しますが、昨年末の特定秘密保護法案をめぐる国会審議にも、安倍首相の政治姿勢や歴史認識に対する過度のこだわりが影を落としました。私は、主権国家である以上、外交や安全保障、テロに関する特定の秘密を国家として保全することは必要で、このような法律が未だに整備されてこなかったのは政治の怠慢以外の何ものでもないと考えていました。
しかし、法案が提出されると、マスコミや野党の一部は批判の大合唱でした。「戦前に回帰するのか」、「平成の治安維持法を作るのか」、と。この時の混乱が政府の腰を引かせてしまい、安全保障改革の中心課題であった集団的自衛権への取り組みを当初の計画から半年以上も送らせてしまいました。
このように、歴史問題への過度のこだわりが喫緊の課題である安保改革の足を引っ張る結果となってしまったことは明らかでしょう。その後の安倍首相は、歴史カードは封印し、隠忍自重する姿勢に転換しました。その結果が、昨今の日中、日韓関係の雪解けムードだと思います。
■追いつめられた韓国
横田 現実問題として、韓国側も国内的な経済事情もあり、日本と関係改善をはかっていくしかない。一概に批判ばかりしているわけにはいかないという判断が、今回のユン外相と別所大使との初会談につながったと言えます。
長島 中曽根康弘元総理も自著『自省録〜歴史法廷の被告として〜』(新潮社刊)の中で仰っていますが、「その時の判断が正しかったのかどうか」、外交は数十年後になってみないとわからない。政治家は歴史の被告席に立つのだ、と。
私は、安倍総理も06年に総理を辞任した後は、政治家として「次の選挙で負けたら引退するんだ」というところまで、自分を追い込んだと思います。地獄を見て、そこから這い上がって再び総理大臣になった。
数年前、安倍さんはご自分のHPの写真を田んぼの真ん中でおばあちゃんに挨拶している写真に変えたことがある。まだ残っています。
それが、今の彼の原点だと思う。
一方で、そうした不遇の時代に安倍さんを支え続けた人たちもいるわけです。誰もが再起は無理だと思っていた時に、「頑張れ!」、「保守のチャンピオンだ!」と、寄り添って励まし続けた人々がいた。亡くなった評論家の三宅久之さんなどはその先頭に立っておられました。
■歴史法廷の被告人になる覚悟
昨年12月の安倍さんの靖国参拝については、そういう支えてくれた人たちからのプレッシャーも強かったと推察されますし、僕は「失策だった」と第1回のインタビューで断言した。この後、日韓関係は再び急激に悪化していくわけですから。
しかし、その後の経緯を見ると、あの時に参拝しておいたから、今後はこれ以上の悪化はないとみることもできるわけです。
どちらが正解だったかは、何年か経って振り返ってみないとわからない。
私は、中曽根さんが靖国参拝を断念した決断こそ、安倍首相がステイツマンとして学ぶべき姿勢ではないかとかねてから言ってきました。それは、当時中国における対日関係重視派の先頭に立って批判を浴びていた胡耀邦主席を支援するという戦略目的のために、戦没者に対する尊崇の意思を国家指導者として示す意義や自らの戦友や家族への個人的な思いを敢えて封印したわけです。
しかし、あの時の中曽根さんの配慮にもかかわらず、その後胡耀邦氏は失脚、盟友の趙紫陽総書記は軟禁されてしまい、天安門事件を経て中国における民主化は完全に挫折してしまいます。ですから、外交的判断の適否は、その時の情勢では判断がつきません。その評価は、あくまで歴史に委ねられるべきなのでしょう。
それはそうとして、安倍さんは、「どん底」に落ちた経験から、中曽根元総理のように「歴史法廷の被告席に座る覚悟」を決めたのではないかと思います。
その意味で、私は喫緊の課題である安保改革が実現するまでは、それを阻害する可能性のある歴史問題への過度のこだわりは封印すべきだと指摘しましたが、安倍さんのアプローチが間違っているとまで言い切るつもりはありません。
もちろん短期的には安保改革の足を引っ張ることになり失策だったとは思っていますが、国家指導者が戦没者に尊崇の念を表し、国民を代表して哀悼の誠を捧げることの意義は大きいし、それが外交戦略上どのような影響を及ぼすかについては、短期的な効果に加えて中長期的な視点も重要です。
■座礁した北方領土交渉
横田 周辺諸国を見回した時に、ロシアとの外交も、北方領土交渉含めて、完全に座礁してしまった。安全保障政策の改革が急務という状況の中、韓国との関係改善は急ぎたいところですね。
長島 そう思います。一時期は、北方領土の面積を当分した「3・5島がとりあえず戻ってくる」という報道が盛んになされていました。事実、そういう状況だったと思います。それがなぜ再び「ゼロ・スタート」になってしまったのか。
次回は、僕らが政権にいた時の経験も踏まえて、そのあたりも考察してみたいと思います。(聞き手・SFN編集長 横田由美子)【了】
長島昭久/ながしま・あきひさ
1962年、横浜生まれ。慶応義塾大学大学院卒。石原伸晃衆議院議員公設第1秘書を経て渡米。ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)で修士号取得。米外交問題評議会で日本人初の上席研究員(アジア担当)に。97年夏から「朝鮮半島和平構想」プロジェクトに参画。帰国後、03年、衆議院議員選挙に初当選。現在4期目。民主党政権下では、防衛大臣政務官、副大臣、内閣総理大臣補佐官等を歴任。著書に「『活米』という流儀」(講談社)、「日米同盟の新しい設計図」(日本評論社)等多数。公式HPに長島フォーラム21(http://www.nagashima21.net)。
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※この記事はSakura Financial Newsより提供を受けて配信しています。
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