ブラックマンデーを受けた日本株市場では、どんな対応が執られたのか

2024年8月6日 08:36

 株価(日経225種平均株価)の下落が続いている。「1285円安、下落率・下落幅今年最大」(7月25日)/「2216円安、ブラックマンデー時以来の下げ幅」(8月2日)/そして「4451円安、下げ幅ブラックマンデー超え最大」(8月5日)といった見出しがネット・新聞で踊っている。

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 「下落の何故」「今後の見通し」は専門筋が語っている。

 私はブラックマンデー時に兜町に身を置き、取材をしいていた。改めて1989年7月に世界文化社から上梓した、『男が勝負する時』を読み返してみた。そして以下を、確認した。

●ブラックマンデーは1987年10月19日のニューヨークダウ、508ドル下落を指す。これを受け翌週月曜日:日本時間20日の株価は3836円の大幅下落となった。


 バブル相場を牽引したとされる橘田義和(野村證券取締役株式部長:当時、以下同)は当日早朝、社長の田淵義久に呼ばれた。「大丈夫か」。「問題ありません。コンセントを抜くだけで止まりますから」。

 橘田の言い分にも一理あった。システム売買が執られていたニューヨーク株式市場では「まとまった売りが売りを呼び、暴落を生み出す可能性を孕んでいた」。20日朝方の成り行き注文は「買い850万株」に対し「売り6億1330万株」。が翌日のニューヨークダウは、106ドル高となった。システム売買の自粛・停止が背景となった。

●しかしその一方でブラックマンデーを受けた20日、兜町ではこんな展開があった。公にはされていないが、私は当事者から直接聞いた。前記の拙著にも書き留めている。当時の大手4社の株式部長会が昼食を兼ねて行われた。45分間。そして後場早々に、こんな場面が大手社の現場では行われた。


 例えば日興証券の買い(手口)に、帝石や日本鋼管が/野村證券の買いに新日鐵、石川島が/大和証券の買いにNTTが相次いで値をつけた。

 前場、東証1部で値段がついた銘柄は54銘柄。率にして5%足らずだった。4社の株式部長の昼食会では、「売り気配のまま手をこまねいていたんでは、売り気配は下がり続け相場の底割れに繋がりかねない。買い向かいに先鞭をつけようじゃないか」。後日、4社の株式部長を訪ね真偽を問いただした。誰も「否定」はしなかった。

 確かにこの日、3836円安となった。が値がついた日本市場を受け20日のニューヨーク市場は急反発した。そして21日の日経平均株価は2037円高という猛反発となった。買いの主体は個人投資家だった。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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