長谷工の株価を13円から1300円台に戻した立役者は、胃が3分の1しかない御仁
2022年4月12日 09:58
話を聞いてから、かれこれ6年余りが経つ。依然とし代表取締役ではあるが、社長から会長職に転じている。もう厳しかった再建期を先頭に立って乗り切った腐心を、自らの口で語ってくれた壮絶なドキュメントを記してもよいですね!?・・・辻範明:長谷工コーポレーション(東証プライム市場。以下、長谷工)会長。
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マンション建設で首位の長谷工の株価が100円そして50円と大台を相次いで割り込んだのは、1998年9月。そして翌99年1月には、史上最安値13円まで下落した。額面(50円)を割り込んだ株価を株式市場では「倒産株価」と呼ぶ。そうした事態の発現は煎じ詰めると、バブル経済崩壊の結果が行きついた先である。
そんな長谷工が破綻寸前を回避し今日に至る礎を再構築しえたのは実質上の「ADR再建」(関連金融機関の支援)であり、常に額に汗しながらの『特命受注方式(営業)』だった。
長谷工のメインバンクは、当時の大和銀行・日本興業銀行・三井信託銀行。が、総債務額に占める割合は約4割に過ぎなかった。そこで長谷工は当時の社長:嵩聰久体制下で、全ての取引金融機関に「一律48%の債務免除」を依頼した。勿論、右から左に話が進むはずはないが、一部修正を経て99年5月に再建計画の合意に至った。
一方の特命受注方式の営業で、収益の再構築が図られた。トップに立ったのが、99年6月に取締役第一事業部長に就いた辻氏だった。「上にいた方々があの頃次々と去って行った結果の着任でした」と辻氏は語ったが、同時に「うちのビジネスモデルの特命受注方式に徹する以外なかった」。
「これぞ」というマンション用地の手当てに際し、土地所有者に手付金として土地価格の2割をまず支払う。それと並行してデベロッパーに建築計画を添え営業をする。合意に至れば用地はデベロッパーに転売する。そして設計施工を受注する。土地保有者への預かり金の清算期間は3か月。その間に同意するデベロッパーが見つからなければ、手付金は放棄(実質上、長谷工が新たな債務として抱え込む)する。
辻氏は、「話を持ち込んだ土地保有者から(当社の厳しい状況を知った上で)『デベロッパーに直接買ってもらった方が間違いない』という声が聞かれたことも否定しません」と正直に打ち明けてくれた。が、こう続けた。「修羅場・土壇場・正念場を乗り切り再建の道を歩めたのは、給与カットや昇給停止の中を耐え抜いた社員の存在なくしては語れない。ある社員が口にした『道路の端っこを、上を向いて堂々と歩こうぜ』という言葉が、今でも忘れられない」。
取材の最後に、「胃が痛い日々だったでしょうね」と問いかけた。しかし辻氏には「私の胃は3分の1しか残っていませんので、痛みも3分の1で済みました」と、サラリとかわされた。37歳の時に胃潰瘍の悪化で胃の3分の2を切除したのだと、後日広報マン氏から聞かされた。(記事:千葉明・記事一覧を見る)