ライク創業者:岡本泰彦氏にみる起業家の資質

2021年10月21日 15:56

 「起業家にはドラマ・ドキュメントが付きもの」を、改めて痛感した。ライク(東証1部)が設立されたのは1993年。創業者で現CEOの岡本泰彦氏が、32歳の時だった。

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 自営業の家に生まれ育ち日々祖父・厳父の背中を見続けた岡本氏には、振り返ると「自ら業を興す」ことは当然の帰結だったのかもしれない。大学卒業後一時、母親のたっての願いで地元:広島銀行に身を置いた。だがそのことすら、その後を勘案すると「経営者とは、経営とは」を学ぶためだったと思えてくる。

 起業の入り口は、旅行代理店向けの企画卸会社。契機は銀行から転じた、小規模な旅行代理店での足跡に求められる。あっと言う間に社長になった。ダイビングやホノルルマラソン観戦など、ユニークな企画が大当たりしたためだった。

 次いで需要の高まりが顕著となっていた、携帯電話の販売会社を立ち上げた。当時は「販売スタッフの質」が問沙汰されている時代でもあった。そんな中でも順調な成果を積んだ。岡本氏は「要は人材だ」と直感し、人材派遣業に歩を踏み入れた。結果、関西NO1の通信業界向け人材派遣会社に昇りつめた。

 98年には総合人材業に転じた。2005年には上場を果たしている。が、それで満足していたならば、本稿を書こうという思いには駆られなかったかと思う。

 09年には、保育事業に乗り出している。ライクの完全子会社:ライクキッズが運営。認可保育園・学童クラブ・企業内保育所(21年4月末、376カ所)を展開している。

 岡本氏が背中を押されたのは、通信業界向け人材サービスを行っていた際の原体験だった。スタッフの4人に3人以上が20代・30代の女性。出産を機に退職というケースが多かった。知人から保育事業者を紹介された。厳しい経営状態の業者。だが即断即決で今日に至っている。

 ちなみにライクは今年10月1日から「病児・病後児童保育園:にじいろ」の展開を開始した。当面症状の急変は認められない。が、病気中・病気回復期にあり集団生活が難しい子供を対象にした、「保護者が仕事を休んで自宅看護が出来ない」場合の保育事業だ。

 第1弾は東京・北区の認可保育園に併設された。また10月9日からは出光興産と協業、出光グリーンパワーの再生可能エネ100%の電気「プレミアムゼロプラン」の仕様を保育園・(後述する)介護施設への導入に踏み込んだ。掲げている「2050年までに事業活動で消費する電力の100%を再生可能エネに転換する」への具体的な歩みだ。

 13年には介護事業(現ライクケア)に参入。引き金は母親が認知症を患ったことだった。岡本氏自らが、施設探しに靴を擦り減らした。「看取りまで責任をもって対応してくれるところがない」という壁にぶつかった。

 そんな折、伝手を介し当時稼働率が60%程度だったサンライズ・ヴィラを紹介された。やはり即断即決。現在、東京・神奈川・埼玉に25施設を展開している。入居率は常時90%台を維持しており、「M&A戦略も視野に年間3~5施設の新規開設を予定している」と公にしている。

 保育士にしても介護士にしても「不足」「待遇問題」が指摘されているが、ライクでは人材派遣業に導入している「エキスパート職育成」策を活用。資格取得援助等を駆使し対峙している。

 岡本氏の歩んできた道筋から、「起業家の資質は合理的な直観力・思考力が不可欠」を実感せざるをえない。(記事:千葉明・記事一覧を見る

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