AI普及の今こそ情報化社会に移行 (2) 「人間関係のデジタル化」とは「家族も理論」?
2020年11月12日 16:38
■情報化社会の到来
あれから半世紀遅れて、今こそ「情報化社会」が成り立つ技術的背景が整ったのかもしれない。ネット・AIなどの技術がもたらす恩恵が、生活の概念を変えるのであろう。
【前回は】AI普及の今こそ情報化社会に移行 (1) バーチャル世界で暮らす「全体主義」の社会か?
例えば、リモートにより仕事(テレワーク)をすれば、通勤の労力が省ける。これは大きい。日本の社会全体が「通勤前提」で出来上がっていたが、これがなくなるため鉄道や航空会社など交通手段をビジネスモデルとしてきた業界は「構造不況業種」となった。JRの新幹線は、「観光業」とますます連携しなければ生き残れないであろう。またテレワークの普及で不動産業立地の優位性評価基準が変わる。
日本社会では、ATMがどこにでもあり、買い物途中で現金に困ることはない。しかし、中国ではATMがほとんど普及していなかったため、キャッシュレス決済が急速に普及した。おそらく、詐欺などの不正も起きていることだろう。だが中国国民にとって、これほど便利なことはないのだ。
■人間関係のデジタル化とは・・?
「職場」と言われてきたのがオフィスである。しかし、テレワークが進んでいくと、「職場」はオフィスとは限らないことに気付くであろう。「9時-5時勤務」なる概念は消えていく。それは独立して仕事が出来ていた人物にとっては好都合だ。自分で時間配分が出来て、自由度が増すのだ。
だが「日暮らし社員」であった人物にとっては、「時間をオフィスで過ごせば良い」とならず、成果を上げるには自分で時間配分をしなければならない。「自己管理能力」が必要なのだ。
人間同士は触れ合っていることで関係が深まっていく。「遠くの親戚より、近くの他人」と言われるように、触れ合うことを基本としてきた人間関係は、基本を無くしてしまう。人間は「家族」を認識するにも、「触れ合うことがなくなれば」他人となってしまう。そのため、「人間関係は論理で理解して、意識するもの」となっていく。「論理的に家族である」と認識して、感情を作り上げていくのだ。
「家系図を見て家族の認識をする人」もいる。また、家族で同居生活をしていても、助け合うことが認識できず、家族関係について「法的な意味合い」と「同居」と別に考えてしまう人がいる。
友人関係についても、「利害のある時の組み合わせ」でしか認識できない人がいる。そのため「情」がなく、「他人と友人と家族」に区別した認識を持てない人がいる。それは極めてドライでわがままで、非情に見える。
これはビジネスにおいての社員としても同じで、触れ合うことがないと社員として一体感を持つことが極めて難しくなる。「自分からの視野・価値観」が全てとなるのがこの人々であり、彼らは「自分の都合による利害」で全てを判断してしまう。
「情報化社会」とは、「バラ色の夢」ではなく、良くも悪くも「論理」の世界であろう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)