AI普及の今こそ情報化社会に移行 (1) バーチャル世界で暮らす「全体主義」の社会か?
2020年11月11日 16:24
中国は、『デジタル技術で世界をリードし、世界の覇権を握ることを目指している』としか言えない状況だ。対するアメリカの大統領選挙の体制はいかにも前時代的で、とても続けて行けるような制度になっていないとも感じる。選挙のない中国としては、「民意」を厄介なものと受け止め、だからこそ覇権を拡大するチャンスと見えるかもしれない。
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日本の社会生活ではキャッシュレス決済もままならず、未だに現金を持ち歩かねばならないことに変わりはない。しかし、中国の「一党独裁体制」はそのままに社会システムが整備されていくと、「人権・プライバシー」は無に帰す恐れが強い。国民の動向が全てデータベース化され、AIによって管理できるとなると、個人の意思は尊重されず、国家全体の利害で全てが決定されることとなってしまう。
つまりそれは、戦前のドイツや日本などのような「全体主義」となることだ。そしてその経験が、民主国家においては個人情報の集積にブレーキをかけてきた。だから、行政手続きのデジタル化阻止に繋がってきた。
■「情報化社会」では、「全体主義」となるのか?
半世紀ほど前に筆者は、日本IBMの現役SEによるセミナーで、「これからは情報化社会になる。それは物が動かず、情報が飛び交う時代だ」としたレクチャーをうけた。これは間違った認識であった。「情報はもちろん飛び交い、物も動く時代。そして人間は動かない。」とすべきだったかもしれない。また、彼は「ペーパーレス時代になる」とも謳いあげたのだったが、半世紀が過ぎた現在でも「FAX」で情報をやり取りしている国がある。
現代では、多くはネットでのやり取りに向かっている。教育の場も「ネット中心」となっていくのであろう。だが、日本の学生たちは「学生生活の実感がない」とリモート授業をいぶかしんでいる。キャンパスに集まり、集団生活をイメージしてきたのであろう。しかし「人間関係のデジタル化」が進んでいるのだ。
続きは:AI普及の今こそ情報化社会に移行(2) 「人間関係のデジタル化」とは「家族も理論」?(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)