大塚勝久氏の「大塚家具」の終焉 (2) 「匠やお客様は利用するものではない」
2020年11月4日 08:36
■大塚家具の見分、「名簿が全て」
お家騒動が始まる前、筆者も大塚家具で買い物をする1人だった。広い展示場を一気に案内してもらったら、案内の社員に「よく疲れませんね?」と言われてしまった。「ゴルフをしているので・・・」と、歩くことが利点であるゴルフを改めて見直してしまった。
【前回は】大塚勝久氏の「大塚家具」の終焉 (1) 商売とは次元が違う「父と娘の悲惨な姿」
印象に残ったのは、名簿を残してきていることだった。当時の大塚家具では「しつこい勧誘はなかった」が、「商売」としての宝は「名簿」があることだ。商売においてだけでなく「名簿」は生命線で、高度経済成長の時代はそれほど貴重なものであるとは気付かない経営者が多く存在した。
バブル経済の当時では「待っていればお客からやってくる」からだ。いや、現在でも名簿の価値を知らない経営者が多く存在する。例えば、クルマ営業、ゴルフ場、銀行、カード会社などは名簿をビッグデータとしてしか使えないのだ。行政のように、統計数字の1つとしか理解できないのだ。
1人1人のお客様に向けてストーリーのある営業活動が出来ている業種を見かけない。ほとんどが営業コストを優先した、売る側の「身勝手な営業」だ。「名簿が全て」とは、詐欺商法ではない「お客様本位の営業」を展開することが基本と教えているのだ。
ニュース記者が、「大塚家具」と「匠大塚」の両店を実際に訪れて「見聞記」を書いている記事が多く残されている。しかしそのほとんどは、記者自信が「客層の富裕層」でもなく「趣味人」でもないため客観的評価が出来ていないことと、「物販営業のプロ」であっても「広告宣伝のプロ」でもなく、正確な記事に成ってはいないようだ。その意味で、これから「大塚家具の営業方針」については、現在の「匠大塚」も見ながら、評価していきたい商法だ。
極めて現代的「金融・投資」感覚の久美子氏と、「匠とのつながり、娘に継がせたかった」父親・勝久氏の極めて「前時代的経営方針」の衝突は、現代人の誰にでも通じる「人生の課題」であろう。
■『匠やお客様は利用するものではない』
一般に、『お客様』が「購買」に至るまでに、お客様に乗り越えていただかねばならない階段が数多く存在している。そのことを意識できている営業を見かけない。ほとんどが一足飛びに買わせようとする「詐欺まがい」の営業と言える。段階を踏まえてお客様に「良さを理解してもらう」姿勢がない。
大塚久美子氏は「お客の立場から見ていない」と、筆者は「お家騒動」の時から見ていた。「自分が望む形の商売」からの発想なのだ。『「開かれたお店」とは、久美子氏の発想では「お客にへりくだらない売り方」』なのであろう。自らへりくだって「商品の良さを説明する」必要がない商売スタイルだ。
これは必ずしも説明員が付き添うことではなく、店内ディスプレイやポップと、広告を結び付けて、幾度となくさりげなくストーリーを持ってお客様に働きかけるのだ。決して1回だけの「ビッグイベント」などではない。
久美子氏の商売では、「良いものを的確な値段で提示し、決めるのは自由」とした「上から目線」の姿勢で、「良いものを丹念に説明申し上げて理解してもらう」とした「下からの目線」ではなかったのだ。厳しく評価すれば、『かぐや姫の「殿様商売」』と言える。
これからもヤマダ電機に「コンサル」するとのことだが、家具についての知見など細かい知見は鋭く広いのであろう。しかし、「匠の心」「お客の心」を掴むことが皆無のようだ。『匠やお客様は利用するものではない』ことを学んでほしいものだ。「購買動機は、売る側がお客様の中に創り上げていくもの」との認識が商売人の始まりだ。ここを外すので、「詐欺商法」と見分けがつかない商法・ビジネスマナーがはびこるのだ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)