国産初カーゴシステム、川崎重工・C-1ジェット輸送機 (2) 専守防衛の国の輸送機C-1

2020年10月31日 09:27

 しかし裏を言えば、当時の、航空機設計者はほとんど戦前の軍用機設計者であり、「航空研究所試作長距離機」略して「航研機」が周回飛行の世界記録を作ったが、この「航研機」の設計者である木村秀政が、旅客機の設計には最も適していたことは間違いあるまい。ゼロ戦の堀越二郎などもいたが、単発・単座戦闘機であって長距離・旅客飛行のノウハウを持つ人物ではなかった。

【前回は】国産初カーゴシステム、川崎重工・C-1ジェット輸送機 (1) 日航製・YS-11との関係はない!

 また当時、優秀な設計士を集められる組織としては「日本航空機製造(日航製)」は最適な状況で、C-1は輸送機であり、直接戦闘を行う機種ではないことから許されたものと見える。さらに、同社はT-2高等練習機を設計している。これは危うい施策で、T-2は後にF-2支援戦闘機に改装されているから直接戦闘する機体の元となった。

 筆者は、日航製に在籍中に「T-2」の開発成功の記念として造られた「T-2ネクタイピン」を、半世紀以上たった現在でも大切に保管している。しかし、その当時は「公にするな」と言った空気だった。

 これらを理解するには、戦後日本の置かれた国際的立場を知る必要がある。最も如実に表しているのが、「C-1輸送機の極端に短い航続距離」である。「敵国を攻撃する能力を持たない」という絶対的「民主国家日本」としての基本的姿勢、『「専守防衛」の国の輸送機C-1』だった。

 当時の主力戦闘機は、ロッキード・F104Jは元来のインターセプター(迎撃戦闘機)であり違和感はないが、マクダネル・F4Jとなると戦闘爆撃機の性格が強く、空中給油装置や爆撃照準装置などをわざわざ外して「J」型としている。

 現在、話題になっている「敵基地攻撃能力」をわざわざ外して「専守防衛」としているのだ。航空自衛隊で、これらの機種を操縦して「スクランブル発進」を行っているパイロットたちは、「打たれてから打つしかない」専守防衛の基準により、超音速の空中戦では「僚機が敵を討ってくれるでしょう」と言って笑うしかない状況だったのだ。

 こうした自衛隊が置かれた背景を理解せずには、C-1やYS-11の開発経緯を理解することはできない。現在、スペースジェット開発が三菱重工であっても、1民間企業が行っていることに筆者が感動を覚えたことは事実だ。そして、苦戦している実態を見るにつけ、技術的問題だけなのであろうかと危惧しているのも事実である。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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