鬼滅の刃と現代人 誰かのために生きるということ

2020年8月21日 07:37

 今や世代を超え、驚異的な人気を誇る漫画『鬼滅の刃』。企業コラボ商品も数多く、その経済圏を拡大し続けている。もはや社会現象と化している鬼滅の刃だが、その一体どこに、大人も子供も心を奪われ魅了されているのだろうか。自身がこのコミックのファンであり主題歌『紅連華』を歌うLiSAの歌詞にも、その理由の1つが隠れているように思う。『誰かのために。』―――今日はこの言葉をキーワードに話を展開していこう。

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■「見知らぬ人を助けたか」最下位の国、日本

 世界各国で、他者への寛容度や人助け度などを調査している団体がある。イギリスのチャリティー団体「CAF(チャリティーズ・エイド・ファンデーション)」だ。昨年秋に、この団体が過去10年間のデータをまとめ、集計したWorld Giving Index 10th editionが発表された。

 調査項目は、人助けや寄付、ボランティア活動に関する3項目で評価されているが、これによると「見知らぬ人を助けたか」部門で、日本は125位と、最下位になっている。また、日本が名指しされているわけではないが、このボトム10の表の横には「このリストの国々は、現在、またはかつての共産主義国」と書かれている。

 はて、日本は民主主義国ではなかっただろうか。単にここでは日本に触れていないだけなのか。その真意は分からないが、ある調査結果を見てみれば、日本の民主主義は、世界から決して高い評価を受けているわけではないことが分かる。

■世界第3位の経済大国日本

 現在、日本はアメリカ、中国に続き、世界第3位の経済大国と言われている。無論これは現時点の評価であり、今後日本はこの順位を徐々に下げていくという調査レポートもある。

 先程のCAFの調査結果と照らし合わせてみると、経済的には恵まれた大国であるにも関わらず、個人レベルで見ると、日本は他の国に比べて、他者に手を差し伸べることに劣っているかのように見えてしまう。他者へ与えることよりも、自分の利益を優先させているということになるのだろうか。

■他者との関わりに不慣れな日本人

 昨年、38年ぶりに来日したローマ法王が、日本の若者たちとの集いの後に語った言葉が話題になった。これは日本だけではなく世界に向けて発した言葉だが、「社会が高度に発展しても、内的生活は貧しく委縮している。笑うこと楽やしむこと、すごいと思ったり、驚いたりする感性を失った人たちがいる。なぜだろうか。他者との人生を喜べないからである」。(著者意訳で要約)

 いくら経済的に発展したとしても、心の闇を抱え込んでいる人が、若者が、増えているとしたらそれは一体誰が望む世界となるであろう。日本について言うならば、子供を育てる過程、つまり教育の過程にも、その一端がある様に思えてならない。

■子供たちを自立させるということ

 「自分のことは自分で」と小さい頃から自立を促され大人になり、自分もまたそう子供を育てるようになる。公共の場における子供たちの当たり前の行動には、一部海外から称賛の声があがっているのは事実ではある。だが幼児期には、「自分」と「他人」を区別して考えることは学ばなくてはならないことだし、また、大半の子供たちはそれと同時に「困っている友達を助けること」を、大人たちに何度も教えられ育っている。

 しかしそれが小学生、中学生、高校生と成長するに従い、大人は子供の「自立」にばかり目が行き、周りの「困っている人」「助けが必要な人」に対する具体的行動を示す機会が減ってしまっているようにも感じる。子供の成長に従い、大人自身が「誰かのために行動すること」を身をもって教える機会を、失くしてしまっているのではないだろうか。

 宗教などバックグラウンドの違いはあるが、先程のCAFによる調査結果の上位にランクする国々では、寄付やボランティア活動などを通して、老若男女問わず、多くの人が実際に「行動」を起こしているのだ。

■「誰かのために生きていきたい」

 冒頭の鬼滅の刃の記録的ヒットは、こういった現代人の心の闇に鬼を重ね、それを滅する、いや、救う主人公、竈門炭治郎の姿に、ある種の理想を無意識に重ねているのではないだろうか。時代も名前も扱うテーマも決して易しくはないこのコミックに、小学生までもが心を奪われているのは、単にキャラクターのビジュアルや格好の良さだけではないだろう。

 「誰かのために」生きている、まっすぐな少年の姿が、純粋な子供たちの心に隠された闇を振動させ、「自分もそうありたい」と、魂を共振させているのではないだろうか。

 他者との関わりなしに、生きていくことは出来ない。「肝心なことは、何のために生きているかではなく、誰のために生きているのか。誰と、人生を共有しているのかということだ。」来日時に、ローマ法王が日本に残して言った言葉である。(記事:板垣祥代・記事一覧を見る

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