三菱・スペースジェット、開発の行方は? (2) Y-X計画とボーイングの圧力

2020年7月1日 11:55

■Y-X計画とボーイングの圧力

 私が勤務していた隣の部屋が設計部門で、当時、Y-X計画が決まらず、人名辞典に載っているほどの設計士たちが、トランプをしたり手回しの機械式計算機を枕にして昼寝したりと、散々の様子を目にしていた。そのころ、アメリカのボーイング社と共同事業にする話が進んでいた。

【前回は】三菱・スペースジェット、開発の行方は? (1) YS-11から続くアメリカ利権との格闘

 YS-11は183機で生産中止となり、赤字を抱えて事実上の倒産状態だった。国策会社のため実際の倒産になることはなかったが、資金は当時の日航製取締役の個人的な「つて」で、大手銀行から借り入れているとうわさに聞いた。どちらにしても国が保証しているようなもので、早く片付けるように圧力がかかっていたのであろう。

 「Y-X事業団」に移行のうわさが、まことしやかに語られていた。そして、その後に設計士たちは、私の同期も含めてボーイング社に出向するとも言われていた。みんな、先が決まらず「くさっていた」のが真実だ。ボーイング757、767などうわさに上り、国産旅客機の夢が失われていく時だった。

 あれからベテランの設計士たちはどうなったのであろう。下請けに甘んじながらB767を完成させ、B777を完成させ、私の同期の設計士らも日本の翼を夢見ながら引退していったのであろうか?

 三菱航空機・スペースジェットは、そうした設計士たちの思いが込められているのであろう。

 ボーイングの当時の狙いは、危険が伴う旅客機開発のリスクを少しでも回避するため、日本の国家予算を取り込むことにあった。日本の技術を当てにしている訳ではなく、日本を従属する下請けの位置に置いていたのは明らかだった。

 航空機メーカーは軍用機、民間機を問わず競争の激しい業界であり、レシプロエンジン旅客機の名門ダグラスがジェット旅客機に切り替わって間もなく、ボーイング747ジャンボの対抗機を開発することなく消え去った。ロッキード事件のロッキードも今は旅客機部門から撤退した。

 それほど浮き沈みの激しい旅客機開発において、日本の国家予算を取り込むことはボーイングにとって重要なことだった。現在でも、次期主力戦闘機の売り込みなど激しい裏工作があるはずだが、表面化はしない。日本のF2支援戦闘機は純国産のはずだったが、アメリカのF-16の改造になってしまった。現在も、日本の翼を取り込むアメリカの工作は国際協調の掛け声の元、続いているはずだ。

■生き残りをかけて手段は選ばず

 スペースジェット開発計画においても、カナダのボンバルディア社のCRJ「Canadair Regional Jet(カナディア リージョナル ジェット)」事業を買収した。だが、その背景には、『型式証明「TC (Type Certificate)」』が取れずに苦しんだ三菱航空機が、ボンバルディアの社員を引き抜き、その精密技術を流用したとして2018年10月にボンバルディアより提訴されていたことがある。

 こうして、生き残るためには手段を選んではいられない厳しさがあり、これまでは三菱重工の豊富な資金が裏付けとしてあったが、今回のCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の蔓延で、三菱重工も赤字転落となり、さらに航空路線各社も存立が危ぶまれる状況となって、先行きは見通せなくなった。『事実は小説より奇なり』とはよく言ったもので、現実とは非情なものだ。

 それは、サプライチェーンの問題としても大きな変化をもたらしている。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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