21世紀を生き抜く「批判的思考」クリティカルシンキングとは

2020年7月1日 08:20

 批判的思考(クリティカル・シンキング)とは、誰かの意見を批判的に捉え思考することではない。ある物事を様々な角度から考え吟味し、より良い答えを見出すために、論理的かつ合理的に行う思考のことである。その言葉から連想する「批判」を誰かに対して行うわけではなく、むしろ自分自身に「これは本当に正しいのか」「何故そう思うのか」「その根拠は何か」など、多角的に問いかけ、自らの意見を再評価し、物事の本質を見極めていく思考のことである。

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■日本におけるクリティカル・シンキング

 2020年、教育改革に盛り込まれた「基礎力」「思考力」「実践力」を3つの柱とした21世紀型能力(21世紀を生き抜くために必要な力)や、大学入試制度改革においても、この批判的思考=クリティカル・シンキングは重要視されている。これからの時代、子供達が生きるために身に着けていかなければならない、21世紀に求められる能力だからだ。

 しかしこれほど重視されている能力にも関わらず、私達日本人にはその意味や具体的な構図が掴みにくい。過去の日本の教育では、クリティカル・シンキングが取り入れられてきた歴史は浅く、限定的だからだ。また、思考分野の教育には、教育する側の深い理解も必要となる。そしてこれらがまだ広く普及されていない日本の教育界においては、指導にあたることが出来る人材の育成も急務となっている。

■教育分野における世界の取り組み

 英語圏ではこのクリティカル・シンキングは、家庭でも、学校教育の中でも、幼児期から当たり前に取り入れられ実践されている。また、そういった教育を受けた大人達が子供を育てる過程でも、自然とこの思考が生かされている。そして考える訓練を受けて育った人間は、自らの意思で未来を選択し切り開いていくことが出来るようになるのだ。

 具体例を挙げてみよう。例えば英語圏での子育てでは、子供のWhy?をとても大切に扱う。何故そうなのか?考えを巡らせることが非常に大切だと大人が認識しているからだ。そしてそういった子供達の質問にも大人は非常に寛容で、尊重し、忍耐強く耳を傾けているのである。だからこそ、子供達はその過程で物事を深く考える力や、人の話に耳を傾ける傾聴力、プレゼン能力、コミュニュケーション能力が培われ、磨かれていくのだ。

■今何故、日本でもこの思考力が求められるのか

 数十年後には日本の労働人口の約半数が、AIやロボットで代用可能になるという。代用可能な仕事を、高い人件費を払い人間に任せる理由を見つけることは難しい。つまり、知識の詰め込み・暗記中心型の教育を受けてきた子供達が、学校で学んだ知識をそのままアウトプットしても、これからの時代では評価を受けることが難しくなってしまうのだ。

 だからこそ積み重ねた経験や知識を元に、人間だからこそ出来る物事を創造する力を生かし、深く考え、労働していくことが求められるのだ。そして目の前の仕事を当たり前にこなすだけではなく「これが最も効率的な方法なのだろうか」「生産性を上げるために他の方法はないのか」など、当たり前のものを様々な角度から疑い、考え、より良い結果を導き出す能力が必要なのだ。勿論、それらを実行できる「実践力」も同時に必要である。

■クリティカル・シンキングの実践とトレーニング

 こういった思考を実践していくためには、個人の思考の癖や偏りを認識しなくてはならない。つまり、「自分の考えには偏りがあるかもしれない」と自らの思考にさえ問いかけ、客観的に物事の全体像を捉えていく。この思考法を学び、鍛え、実践していくと、物事を様々な方向から見て考える思考回路が出来る。それでも、「それは事実なのだろうか」「どうしてそう思うのか」「どうやってそれを認識したのか」「それは正しいのか」そう問い続けることを忘れないでほしい。
 
 家庭でも、子供のWhy?How?を尊重し、そして「問い続けること」によって物事の本質に近づいていくことを、経験として子供に教えることが出来る。そこで親として何よりも大切にしてほしいことは、子供の話を最後まできちんと聞くことだ。そして親もまた、子供にWhy?How?を投げかけ続けてほしい。「答えを出すこと(結果)」よりも「自分の頭で考えること(過程)」に思考力を鍛える目的があることを親は忘れず、子供に接していってほしい。(記事:板垣祥代・記事一覧を見る

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