トヨタ春闘「ベアゼロ」で見えた (3/3) 新しくて古い「年功序列」廃止の努力
2020年3月18日 11:50
そんな世界情勢の中で、「トヨタ」は競争に勝っていかねばならないグローバル企業だ。日本経済の牽引役でもある。「年功序列」を維持することが難しくなってきた背景が、トヨタが成長してきたが故の結果であることは皮肉だ。かつてのように、もう創業家であっても「社員は家族」などと言っていられないのだ。
【前回は】トヨタ春闘「ベアゼロ」で見えた (2/3) 「格差社会」が形成されていく姿
社会は、「格差拡大」に動かざるを得ない情勢だ。資本主義とはそうしたメカニズムなのだ。それは「平等」ではないし、能力に応じて配分を得られるシステムとは言い難い。どのような能力が「金」になるのかは、平等ではないからだ。人を笑わせる能力が高い「芸人」が、人の命を救う「看護師」より収入が多いこともある。ゴルフが上手でセレブになったのがタイガー・ウッズだ。
現代の中国の政治体制や社会体制は、マルクスもびっくりの状態だ。かつて、共産主義は共産党1党独裁となって崩壊した。しかし、その原因は経済の低迷だった。さらにその訳は、「人間は競争がなければさぼるもの」ということだ。
「能力に応じて働き、必要に応じて配分を受ける」と言って『経済の前の平等』を掲げ登場した共産党政権だったが、その実態は「官僚独裁政権」であった。中国の政治状況を見れば「言論の自由」さえ制限されている実態がある。
「共産党独裁」の中で、中国は「資本主義経済システム」が導入されたのだから、最悪の「金持ち支配」に傾いていってしまった。共産党に近い利権者が資本家となり、一般国民を独裁的に支配する状況だ。資本主義を採り、三権分立の民主主義を採る日本などより、中国は「人権を制限する」独裁状態であるのは明白だ。逆に日本は、経済優先の政策を採る民主政権なのだが、「官僚独裁」の色を濃くしている状況なのが皮肉だ。
「何がお金になるのか?」分からないのが本当のところだ。社会情勢によって決まってくる。その中で「うまく泳ぐ」と分け前も増えるようだ。
ところで、日本独特の「年功序列」賃金は、一種の「社会保障制度」とも言えるシステムであり、日本社会の安定と平等感を作り上げてきた。しかし、グローバル経済により世界で競争しなければならない現代では、日本経済の足を引っ張る存在となってきている。
アメリカのGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)などの情勢を見ると、「能力に応じて給与を出す」ことが正解のようだ。しかし、同時にアメリカ社会の現実の歪みはますます拡大し、遠からず行き詰る可能性を感じさせる。
新型コロナウイルスの蔓延(パンデミック)は、こうした生物としての人間の存在に警鐘を鳴らしているのかもしれない。それは人間も自然界の1動物であり、「自然環境から見て何らかの不都合がある」のであろう。
その意味で、トヨタ自動車の「労使」は話し合いを重ね、方向性を出してほしいと願う。現状、トヨタは労使の関係が、曲りなりにも正常に成り立っている自動車業界であるからだ。これからの日本社会の「標準的あり方」を示してほしい。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)