ボーイングとエアバスは何を争っているのか(2) スピード争いの終焉

2019年1月7日 21:50

■スピード争いがジェット化を進めた

 しかし、戦中からジェット機の開発は始まっており、ドイツ・メッサーシュミットMe262が世界初の実用機であり、日本も大戦中それに続いていた。大戦後、朝鮮戦争の時代にはジェット機同士の空中戦が展開され、「火器管制装置」の優劣が戦局を左右する時代に突入していた。戦後まもなく大型機では、爆撃機ボーイング・B47、B52のジェット化が進んでいった。コンベア・B58で、マッハ2級の超音速時代を迎えてもいた。B52は、現在も近代化された機体が現役だ。2050年まで100年に渡って運用される計画もある。

【前回は】ボーイングとエアバスは何を争っているのか(1) ハブ空港、すなわち国家経済発展を争う

 旅客機のジェット化は遅れた。それは、燃費の問題で採算がとりにくかったためだ。それでも航空旅客数が伸びてくると、ダグラス・DC8、ボーイング・B707が登場し、ジェット化、すなわち高速化の争いとなっていった。これが次第に中距離、短距離の世界に進んでダグラス・DC9とボーイング・B727となり、しばらくの間続くこととなる。「スピードの争い」であったことが特徴だった。

 ホンダジェットの姿で疑問に思うことと関連するのだが、ボーイング・B727の成功には、上昇力と降下率の性能の高さがあった。短距離になるほど、巡航高度に上がって出来るだけ巡航高度を守り、急降下して着陸すると燃費が良くなるのだ。そこでB727は、沈下率が大きくなるように翼面積が小さく作られていた。しかし、沈下率が大きいと離着陸速度が上がり、短い滑走路では運用できなくなってしまう。ローカル線に進出するには不都合なのだ。そこでB727は、大きく開口するファウラーフラップと前縁スロットを採用し、離着陸速度を落としている。それが成功の秘訣だったのだ。しかし、ホンダジェットにはその工夫がなく、1万3千メートルもの巡航高度を持つ短距離小型機の割には沈下率がどうなのかと心配になっているのだ。

■スピード争いの終焉

 その後、超音速旅客機計画が持ち上がった。当然の成り行きだったが、イギリスとフランス共同開発のアエロスパシアル・コンコルドが登場した。この当時、ボーイングはB733と初め呼ばれたマッハ3の計画があった。これは可変後退翼でその後マッハ2.7に修正されたが、日の目を見なかった。マッハ3の速度に達するには、ジュラルミンの機体が溶けてしまうという「熱の壁」を超えねばならなかったが、チタン合金などで造れば当時としては大変高価になってしまっていた。この問題を超えられるのはアメリカだけであり、コンコルドはマッハ2.2に抑えるしかなかったのだった。

 その後、マッハ3での成層圏の飛行はオゾン層の破壊につながると言われ、計画は中止されたが、本当のところは分からない。超音速旅客機は、コンコルドだけで夢と潰えてしまった。その後はマッハ6などの機体が考えられてはいるが、一端宇宙に出なければならないほど急ぐビジネスは、SNSなどの通信手段の発展で必要性が少なくなっている。

 大型戦略爆撃機でもB-70のマッハ3の計画があり、試作やテスト飛行まで行われたが、計画は中止された。迎撃システムが進歩して、高高度に侵入することは爆撃機(有人機)では難しくなり、レーダーに発見されにくい超低高度で侵入するB-1に変更になったのだった。現在B-1は、ステルス性能を与えられたB-2と共にグアム島に配備されている。今ではチタン合金で簡単にマッハ3に達することが出来るが、依然コストが高くなることと、進歩した武器システムとしでは「ミサイルプラットフォーム」と化した現代の爆撃機、戦闘機などでは無意味と考えられている。

 地上や海上艦艇、航空機などの火器管制システムとの連動で、最終的に発射される武器は超高速のミサイルとなり、ミサイル運搬用の有人機のマッハ3のスピードは必要性がないと判断されている。ジェット機の範疇では必要とならないであろう。戦略爆撃の目的ではミサイル使用となり、有人爆撃機の必要性は、北朝鮮との闘いのように暗殺に近い精密爆撃しか考えられず、使用範囲は限られたものとなっている。それも、ドローンなどに取って代わられようとしている。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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