【ルノー・アルピーヌ・A110と日産・GT-R(4)】GT-RのベンチマークはアメリカンGT

2018年12月18日 18:58

 先日、カルロス・ゴーンが逮捕されたとき、銀座では日産「GT-R50 by イタルデザイン」が1972年「スカイライン2000 GT-R レーシングコンセプト」と同時に展示されていた。この2台を見ると、GT-Rの発祥から現在に至る文化的変遷を感じることとなる。

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■GT-RのデザインはアメリカンGTの影響が強かった

 日産GT-Rが“スカイライン”GT-Rとして登場したことは、今回の銀座の展示でも示されているのだが、スカイラインGT発祥のいきさつを知る者は少なくなっていることだろう。簡単に振り返ると、現在の日産の文化的側面も見えてくるだろう。

 1957年に藤精密工業時代のスカイライン1500が誕生し、1958年1900ccに拡大された。皇太子時代に、今上天皇がご自分で運転された車でもあった。そのあと、2代目スカイライン1500とも言うべき箱型スカイラインが生まれた。その直列4気筒エンジン用のボンネットを20cmほど伸ばして、グロリアの直列6気筒2000ccエンジンを積み込んだのが「プリンス・スカイライン2000GT」であった。

 この元になったスカイライン1500は、私も運転した経験がある。私の親父の車歴は、初めが日野ルノー・4CVだった。これは、日野自動車がルノー・4CVをノックダウン生産(ルノーから部品で輸入し組み立てだけ行う)したもので、タクシーなどにも広く使われていた。その次がプリンス・スカイライン1500だった。当時は、日産・ブルーバード、トヨタ・コロナなどと正面から競合するファミリーカーであった。1500ccで当時は70psが常識だったところ、プリンス自動車は1500ccながら88psを出し、一歩リードしたのだが、日産に吸収統合されることとなった。

 その後、日産・スカイラインGT-AとGT-Bとが登場してきた。GT-Aは、初期の2000GTと同じにグロリアのエンジンを積み、コラムシフトであった3段変速MTをフロアシフトに変更しただけだった。馬力も確か105psでグロリアと変わらなかった。それを本格的4速MTフロアシフトとして、エンジンも確かソレックスキャブレター3連奏で125psにチューンしてきたのがGT-Bだった。

 これが今となって考えればGT-Rを生む基礎となっていたと考えられる。それは、速い車を造りたければ大きなエンジンを積めばよいとしたアメリカの風潮を真似したものと当時から言われていた。エンジンについて、多少のチューンを行ってくるのも似ていた。その手法も、ほとんど市販車のままで、高性能なキャブレターを取り付けただけだった。ポート研磨などのレーシングエンジンの作り方は、当時は手作業がほとんどだったため、量産車に行うにはコストが掛かりすぎたのだ。

 こうしてアメリカ式チューニングのやり方を真似て、スカイライン2000GT-Bは登場した。ロングノーズ・ショートデッキのスタイリングが高性能の証として、日本でも認知されていった。

次は、スカイライン2000GT-Rの登場を見てみよう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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