車はエンジンだけで出来てはいない(1) 『自動車メーカーは【生産技術】で成り立つ』?
2018年11月28日 08:24
東洋経済のこの参考記事を読んでもらいたい。トヨタ、日産、ホンダなど自動車メーカーが、業界のトップに君臨できたのは「エンジン開発能力があるからだ」と断言している。もちろん「安全ボディーを作るノウハウがあるから」だけでもない。現在まで自動車メーカーとして「部品を買い付ける立場であったから業界トップ」と単純に思われていると考えることもできる。
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部品メーカーのほうが、規模が大きいことは世界では当然にある。つまり最終組み立てラインを持っている企業が、当たり前だがメーカーだ。エンジン開発能力があっても自動車メーカーでない企業もある。ヤマハ発動機も4輪車メーカーではないが、「TOYOTA2000GT」のエンジンなど、トヨタの難しいエンジンを担当してきている。世界のサプライヤーと日本の「下請け」の違いを意識してほしい。
自動車の製造は多数の部品からなっているために、その【生産技術(造り方)】で優劣がきまるのだ。「日産とトヨタの競合の歴史」を見れば明白だ。どうしてか経済専門家は「製造業」を知らない。ケインズ経済学では「生産手段の量」ぐらいの認識で、「造り方」など視野にないためだろうか?これほど資金効率が叫ばれる中で、サプライヤーチェーンの仕組みなど考慮していないようだ。
ソフト産業、サービス産業などでは「製造」工程が全く欠落している。そのためテスラのようにアイディアさえあれば、実現できると勘違いして戸惑っている場面が多い。また製造を「開発」と捉えて、製造工程を捉えないので、「モデルベース開発」が切り札のように勘違いする向きもある。
そのため、「品質保証」のシステムを構築していることまでも忘れて、データ改ざんを行ってしまう組織となってしまう。
現在の自動車生産(製造業)の【生産技術(造り方)】は、戦争が経済に及ぼす「範囲・力」などよりも、大きな影響力を持っている。新しい経済理論構築が必要な時になっている。ピケティ氏が指摘した【配分の不公平性】などを無視し続けている経済学者の怠慢とも受け取れるほど、『8人で人類資産の半分を所有』するという異常なところまで世界経済は歪んでしまっている。経済学者が歪んだ理論を展開すれば、世界の投資家・政治家・企業経営者などが、同様に歪んだ言動をしてしまう。学者は、その社会的責任を自覚することが必要だ。
人間の「衣・食・住」においては、必ず「生産物」がなければ成り立たない。経済理論があろうとなかろうと、物がなければ成り立たないのだ。だから、昔から鉄則として【生産技術(造り方)】があるのだ。金融理論にしても、経済理論にしても、人間の営みを外して考えるから、「投資」で全てが回っているような錯覚をするのだ。
日本の産業は生産性が低いと言われているが、「製造業は世界のトップ」だ。それは、「トヨタのかんばん方式」にある。この生産方式が、日米貿易摩擦の折にアメリカ企業に伝授された。それでもアメリカ企業は工夫せずに、現在では常識となった「混流生産」ですらできていない。また不況が来れば、アメリカ自動車メーカーは打撃が大きいだろう。
経済専門家は、製造などの「作業なんて下々のやること」とでも思っているのだろうか。しかし、戦後日本の高度経済成長は「トヨタのかんばん方式」が引っ張ってきたのだ。1/1000ともいわれる資金需要になって、「トヨタバンク」と言われるほど資金効率が高かったことが、現在を築いている。日産は、このトヨタ方式の多種少量生産に後れをきたして、有利子負債を増やし、減産時に赤字転落が速かったのだ。
だから開発資金の成果物、つまり開発した技術を出来るだけ早く売却し、資金回収することをカルロスゴーン会長も行ってきた。トヨタもまた、「旧1次下請け」「現グループ企業」に対して、「グループ外にも開発した技術を使った製品を売り」開発資金回収を早めるよう促している。しかし、造り方の進歩は、開発費の回収効果よりもはるかに大きな資金効率向上を見せるのだ。この「造り方」を無視し、「エンジンを作る能力があるから」というだけで、自動車メーカーがこれまで社会で優越出来てきたと理解することは出来ない。
次は、「EVは本当に造り易いのか?」を考えてみよう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)