メーカーの下請けいじめ! 「あるに決まってるだろう!」(3) 業績不振による企業の断末魔

2018年11月5日 18:33

 正常な営業状態でも「下請けいじめ」はあるものだが、発注側が業績不振に陥ったとき、なりふり構わず「コストダウン」要求が始まるものだ。「下請けがつぶれようが構わない」との姿勢だ。それは「契約違反」など違法行為も含まれることが起き、「断末魔」と言える状況となる。今回はそんな状況を考えてみよう。

【前回は】メーカーの下請けいじめ! 「あるに決まってるだろう!」(2) AIとは違う「袖の下」の要求

■親会社(発注元)経営者が商売(ビジネスモデル)を理解できていない場合
 私の会社が親会社と取引を始めたいきさつを振り返ると、当社の「製造する技術」と、親会社が望む量を製造できる投資を親会社に替わって当社が資金準備できる能力だった。つまり当社は、親会社の「共同経営者」ともいえる「共同出資者」で、「ともに稼ごう」といった仲間だった。そのため当社の社長は、親会社の常務待遇で「下請け」との扱いはなかった。しかし時が経ち、創業家に替わって株主として経営権を持ち始めた経営陣にとって、当初のいきさつなどどうでもよくなり、「今、親会社が稼げる下請け」を求めることしか視野はなくなったのだ。

 しかし、それは同時に創業家ゆかりの協力者を敵に回し、「投下資本の引き上げ」を誘発することとなった。その時の親会社経営陣が覚悟の上なのであれば、それが経営方針だ。しかし、サラリーマン経営者では、資本参加している気持ちの協力者を理解できる経験者はいなかった。下請けが赤字を出してまでコストダウンに協力するとすれば、それは新たな出資となる。「威張り散らされて」出資するほどお人よしはいない。下請け各社は、新たな取引先に打ち込んでいくこととなる。当社にとっても「共同出資者」としての立場を親会社が顧みないのであれば、資本を引き揚げることに躊躇はない。

 技術的にも共同経営者としての前向きな「大改革、多種少量生産」に価値を認めないのなら、再建は不可能と見て親会社を見捨てる判断もやむないことだった。下請けと言っても、技術的、資本的にも多くの資産を提供してきた関わり合いがある。それを「下請けは牛耳れるもの」と心得るのは素人だ。

 創業家が経営する親会社は商売に失敗して、当初業界の80%シェアを誇っていたものが、第3勢力から抹消メーカーへと落ちていった。その中で、他業種の巨大企業に買収され、人材については、経営陣だけでなく中間管理職まで排除され、急激に他業種の管理常識となっていった。それは、ビジネスモデルの混乱を招いてしまっていた。つまり、「ほとんど単品生産」と言える製造業の人々が、突然「ほぼ量産企業」の管理を営むこととなったのだ。業種、業態によってサプライヤーチェンの構成は違ってくる。「技術力が高い、コストの安い」ことだけに注目して下請けを評価しても、その内容を理解することさえ難しい。

■業績不振による企業の断末魔
 その親会社は、製造・生産技術に関して、全くと言ってよいほどの「的外れ」になっていった。コストダウン要求は「次回生産ロットより20%ダウン」を要求してくるなど、量産工場では単に「契約違反」と言えるほどのもので、「下請けいじめ」の領域だった。不況が背景にあるとしても、それは技術的に不可能な要求だった。しかし、それが不可能なことだと「親会社経営陣は思っていなかった」のには驚いた。「蹴とばせば安くなる」と製造現場を理解している高慢さはどこから来るものか?

 このように、親会社が「技術的援助」を携えて下請けにコストダウン要求が出来ないと、単に「下請けいじめ」となってしまう。親会社自身の社員、下請け相手に、極端に「現代のブラック企業」のように、えばり散らし始めた経営陣の姿は「断末魔」と見えた。親会社の製造部長でさえ、理由のない叱責に上司である経営陣に対し「自分が商売に失敗したのだろうに!」と反論する始末だった。リストラは社員の半数以上に及び、人心が乱れ、社内では「足の引っ張り合い」となり、ガバナンスなどと言える状態ではなくなっていた。社員にも「業績回復の知恵」はなく、保身のため「厳しく下請けにコストダウン要求」しているポーズをとるだけで、実態は「いやがらせ」しかできない様子だった。経営者は威張り散らすのだが、「リストラ」以外の方法論を示すことが出来ず、グループ全体として窮地を脱出する手立てが見つからなかった。断末魔と呼ぶにふさわしい状況だった。

 量産工場のコストダウンは、何らかの技術革新があって実現できるものだ。それに対して、単品生産、つまり工事現場のような仕事では「はっぱをかければ20%程度の生産性は一時的には上がる」ものだ。このビジネスモデルの違いを親会社の経営陣は理解できなかった。「トヨタのかんばん方式」が井関農機など他のメーカーに広がりを見せる中、親会社の管理職の中にも「マテリアルコントロール」を知っているものもいたが、その意味は理解できていなかった。東大出身の経営者と言えども、「要するに」と「抽象化」して製造全体を理解することが出来る人材がいなかったのだ。

 AIの時代になってもこの状態であると、「AIに与えるデータが不備で」役に立たないAIが続出する危険があるだろう。

 次は、ビジネスモデルと金融知識について考えてみよう。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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