【続・横断歩道で止まらないクルマ】『滑稽な言い訳』、止まらない運転者たち

2018年8月17日 07:57

 面白いデータが有ったので紹介したくなった。結論から言えば、「命、人生の価値を顧みれない哀れさ」を見てしまう。それも自分自身も含めて、後期高齢者になっていながら、これほど人生観が出来ていなかったのかと考え込んでいる。

【こちらも】横断歩道で止まらないクルマ(3) 本当に止まらないか?試してみた!

 朝日新聞デジタルのデータ(信号機のない横断歩道、止まらぬ車 運転者の意見は?)を取ったうえでの公平な記事は、よく読んでみる価値がある。
【信号機のない横断歩道で・・・・停止しない、出来ない理由・・・・】
 『第1位 44.9% 停止しても対向車が停止せず危ないから。』となっている。一見まともに聞こえるが、言い訳がましい考えだ。しかし、このような意見が正論のように言われる現代を、若者はどのように考えているのだろうか?

 私は、免許を取って50年が過ぎている。その間、自分で事故を起こしたことはない。自分の車にかすり傷も付けたことがないのだ。だから、自分の車の保険を使ったことはない。しかも、ペーパードライバーではない。かなりの運転経験だ。しかし、信号機で停止していて追突されたことが3度ほどある。また、信号機が黄色に変わっても止まらないことはよくあった。それは『第4位 止まると後続車に追突されそうになるから』と同じ理由だった。

 最近では、黄色信号でもバックミラーを事前に見ていて、危険を感じない限り、ある程度の急ブレーキでも止まることにしている。また、いろいろ場面はあるが、信号機のない「横断歩道で歩行者が渡る気配」を感じたときは止まることにしている。しかも、「窓を開け対向車・後続車に手で合図する」ことにしている。前提条件として、事前にバックミラーで見ていて、後続車に無謀な気配がある時は身構えて窓を開けておいたり、ドライブレコーダーとは別にカメラを用意したりと、注意に注意を重ねている。後続車に強引に追い越しをかけられ、自分の腕をもぎ取られる危険を感じたときもあった。しかし、ほとんどの場合、「手を挙げての合図」は大変有効だった。対向車に向かっても「ストップ」と正面から合図することは大変有効だ。場面によるが、多くはパッシングライトより有効だ。

 しかし、これには広範囲の注意が出来る視野の広さが必要だった。事前にバックミラーで後続車のクセを見抜き、登り坂下り坂、右カーブ、左カーブ、現在時刻、天候、後続車からの視野など、道路の特性を理解して、対向車の動きは一瞬で判断しなければならない。

 例えば、信号機のない横断歩道で対向車線が下り坂の場合、つまり自分は登り坂で止まりやすくとも、対向車が下りでスピードも出がちで止まりにくい場合、事前にライトをつけて走ることにしている。そのうえで停車するときにはパッシングして対向車に注意を促している。また、自分から向かって右カーブの時は、左側の歩行者の姿は対向車にも見やすいが、左カーブの時は、対向車から左側の歩行者が見えにくい場面もある。その時は右ハンドル車の運転席から、さらに右側に腕を伸ばし、対向車に合図することは大変有効だ。この配慮が出来るようになるには、多少の訓練が必要だ。

 しかし、「あわよくば通過しよう」との自らの邪念を廃することが出来れば、迷いはなく集中できて意外に決断は早いものだ。まず、第一は『万難を排して止まる』と決意していることだ。

 朝日新聞デジタルのデータを良く読み込んで、「止まらない運転者の下心」を見抜いてみると、「止まることを嫌がっている姿」が滑稽だ。この原因は、「自分からの視野がすべて」であり、「わがまま」な「迷惑行為の塊」となっており、正常な人間ならば「恥ずかしくなる己の姿」が見えてくる。この、「自分の好き嫌い」「自分の都合」を優先して考えてよいとする「マナーの低下」について、客観的に判断できない「サイコパスともいえる認識」に気付かねば始まらない。「普通の主婦感覚」を、客観的に、冷静に、男性も反省してみることだ。

 日常的で慣れ親しんでしまってはいるクルマだが、車の運転は「人の命にかかわる問題だ」と認識することだ。私も「必ず、あらゆる工夫をして止まる」と、決意を新たにした。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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