中国・自動運転シティー開発(3) 開発【第2ハードル】実用化・品質保証(量産技術)

2018年7月31日 06:48

【第2ハードル】実用化・品質保証(量産技術)
 サンプル(試作)車を作ることが出来て技術的に自動運転ができると見通しが立つと、通常「量産試作」車を複数造り、実用化テストを行う。できる限り多数の条件の中で試してみることが必要だ。AI自動運転を開発している今、AIが出来てもAIに学習させるデータの数が問題となる。これを実際の試乗でデータを取るとなると、とんでもなく時間がかかるとされている。そこで「ビッグデータ」が必要になり、それでも不足がはなはだしいと言われており、シミュレーションにより補うことが行われている。新型クラウン/カローラから得られる「実車データ」は貴重なデータとなるであろう。

【前回は】中国・自動運転シティー開発(2)自動運転車開発【第1ハードル】AI自動運転技術

 建設車両で先行するコマツのデータとその活用術は、多くの研究者にとって貴重なものであろう。AIを育てる必要性があるのだ。

 もう一つ、実用化で見落としてならないのは、センサーの信頼性だ。ソフトウエアは完璧になっても、センサーの働きが保証されないと実用にはならない。例えば、現在の複眼カメラの映像からの認識や、ミリ波レーダーによるデータでも、センサーの前面に障害物があっては機能しなくなる。これが人間であれば、目が良く見えないことも察知して、減速したり停止したりできる。例えば、センサー部分に泥でもはねたのならどのように処理するのであろうか?「センサーが既定の感度を保てない状態に至った」となったら、それをどのようにして知り、どのように処置するのか?実用化の道は厳しい。

 さらに、車両全体においても、テスラのように「量産して品質保障が出来るのか?」は極めてハードルが高い。これは中国社会が最も認識が浅いとみられる部分で、「中国社会の文化レベル」が試される部分だ。半世紀以上前のインドで、当時としては日本でも開発が出来なかった、世界最先端のマッハ2級の戦闘機が試作された。しかし、実用化できなかった。それは、インド社会全体の「文化・技術レベル」が追いついていなかったためで、量産してメンテナンスなど運用できなかったのだ。

 現在テスラが、目標である1週間に5,000台の量産に成功したと発表されている。しかし、その方法を見ると、「品質保証」が出来ているのか不安がいっぱいだ。イーロン・マスク氏も多くを学んだと思われるのだが、彼は「文化レベルとしては低いまま」なのだ。彼は「文化レベルが低い」と認識はできないであろう。なぜなら「他人の立場」を認識し、思いやることが出来ないからだ。

 それは、テスラに乗るユーザーの立場を優先して考えることが出来ないからで、生産者側の立場でのみ物事を理解している証拠だ。つまり、テスラにとって「安全」は商品であり、「人の命」の問題であると理解しているわけではないのだ。残念ながら、スバルの不正が起こるのも、同じように「安全」は「知識」であると認識し、「安全は命である」と理解できずに「商品」として必要な機能としか理解できないので「最優先」とならないのだ。これは、利益を上げることに懸命となっている経営者に多い「心得違い」で、人間の性と言ってもよいものだ。近年の「投資家」「ファンドマネージャー」などで、それが唯一の人生観となっている人物が多い。世界を震撼させた「リーマンショック」は、それが真の原因だった。驚くほど稚拙な原因なのだ。

 中国文化も現在までのところ、「民衆の安全が最優先」であるとの認識に欠けている。それが独裁国家中国社会、最大の課題となろう。これを克服して、日本社会でも受け入れることが出来るシステムとなるのか?それとも日本社会が変化して、「個人の人権」を最優先にできない社会となるのか?大変見ものだ。

 「スバルや日産の経営方針」も、レベルは違うがこの課題なのだ。経営者が「作業員の立場(一人の人間としての立場)」を優先していないのだ。それはユーザーの立場を理解せず、利益を確保するため「騙し、利用する相手」とした認識が感じられるからだ。「アメリカ式金融の体質」であるとしか思えない。「牛耳ることが目的となっている」とまでは言わないが、両者とも、ユーザーの立場、安全を最優先とできていないのだ。これは、いずれ「人災を生む」許されない認識だ。

 次は、人類にとって一番厄介な、「タカタのエアバック問題」で見られる【第3ハードル】「未知の概念」の不安について考えてみる。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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