たかが漢方されど漢方 ツムラの歩み
2018年1月7日 17:38
ツムラの創業者・津村重舎が「良い薬は必ず売れる」と、勇躍上京したのは1893年。母方、藤村家伝来の生薬製剤「中将湯」を携えてだった。
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明治政府発足から20年余のこの頃、為政者は「西洋医学一辺倒」で伝統の漢方医は医者として認められていなかった。だが津村は「生薬製剤:中将湯」に絶対の自信を持っていた。生薬と漢方の衰退に反発し復興の時を確信していた。それは、こんな一事にも容易に窺える。
創業4月10日から僅か19日後、郵便報知新聞に「御婦人方へ」と題する「中将湯」の広告を打ったのである。同紙は「郵便制度の祖」とされる前島密氏らの手で刊行されていた。縦33㎝・横20㎝(6段紙面の4段5分の3を占める)の広告の中央には「中将姫」の木版画がデンと据えられ、当時の権威ある産婦人科医により「中将湯」の効果が認められたことなどが記されていた。
そんな風にして始まった同社にとりエポックメイキングとなったのは1973年。63年に漢方製剤を構成する生薬が薬価収載され煎じ薬として保険診療に用いることが可能になったことや、薬害の副作用が問題となっていた中で「弊社の漢方製剤が薬価収載されたのです。漢方製剤の需要が一気に盛り上る契機だったと認識しています」(広報担当者)。
現在ツムラの総売上高に占める医療用と一般用の比率は「95.4%対2.3%」。「高齢者」「がん支持療法」「女性関連」を3本柱に、医療用漢方薬市場の8割方を占めている。同社は「“kampo”で人々の健康に寄与する価値創造企業を目指して」という長期ビジョンの基、その歩みを一刻として止めようとしない。
それは原料製剤づくりの「拘り」にも顕著。原料生薬は植物・動物・鉱物などの薬用部位(根・茎・果実・葉等)を調剤加工する。良質の生薬の選定には古文献を考証し、それを現代の化学レベルに照合し生薬の学名や産地を鑑定した上で「外観・官能試験」「内部形態学試験」「遺伝子鑑定試験」「理化学試験」を行い総合的な品質評価を行っている。いわゆる薬草に関しても「自社管理□甫場」及び契約栽培で市場からの調達は行っていない。
流れを知り「漢方治療」に妙に惹かれた。(記事:千葉明・記事一覧を見る)