【さらばマクラーレン・ホンダ】F1最強ブランドの終焉 「サイズゼロ」の失敗?

2017年12月18日 11:52

 「マクラーレン・セナ」が発売になった。かつての「マクラーレンF1」の後継車であろうが、「セナ」の名を冠したマクラーレンの思いは、かつての栄光を築いたホンダとのつながりを思い出させる。「マクラーレンF1」の日本代理店を訪れていたとき、「試乗してください」と促されたが、そこは街中であり、道路工事をしている場所だった。値段はやはり1億円ほど。ショーウインドーに飾られた「マクラーレンF1」はレーシングマシーンそのもので、地を這うような最低地上高であった。さすがに「床をぶつけたらどうしよう」と躊躇してしまった。今となれば試乗しておくべきだったと後悔している。

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 「マクラーレン・ホンダ」の名は世界最強のブランドとして、誰も異議を挟む余地はなかった。しかし、今回、マクラーレンはホンダを切ることを選択した。3年目の今年、戦績を見れば「やむを得ない」と感じる者がほとんどであろう。

 1987年マクラーレン・ホンダとなったとき、セナが参戦した。1988年16戦15勝の記録を残し、全盛期を迎えた。その頃の連戦戦勝の勢いは、幻のようなブランドとして現在でも引き継がれている。3年前「ホンダがマクラーレンと組むのだから」と、人々は再び期待した。しかし実際は、メルセデス・ベンツやルノーとは馬力差があり、勝てる信頼性もなかった。

 失敗に終わった3年間であったが、依然として人々の「期待感」は強く、「ホンダは必ず返り咲く」と信じている人は少なくない。

■失敗に終わった理由は何か?と問われると、マクラーレンからの要求「サイズゼロ」であろう

 「ホンダの社内体制の不備」「マクラーレンの要求の間違い」などいろいろと考えられる。詳しい資料がないので予測にすぎないが考えてみよう。

 2015年、ホンダはマクラーレンからの要請で「サイズゼロ」コンセプトを受け入れた。それは軽量化や空気抵抗の減少などを狙った車体のパッケージングを優先した考え方だった。そのため、エンジンを中心としてターボチャージャーや補器類など、最小のパッケージングとすることが必要だった。

 ホンダはこのマクラーレンからの要求に対して、ターボチャージャーの直径を細くして、エンジンのV字の中に収める努力をしていた。その中で、筆者が気が付いたのは“ターボチャージャーのタービン系を小さくしている”事だった。この判断が「最高馬力」に大変不利に傾くことは、ホンダ技術陣も知ってのことであろう。

 不振が続く中で、吸気供給ダクトが細く、タービン系も小さいことの不利を何とか克服しようとする努力が続けられていた。しかし、タービン系の小さいことを補うことは容易ではない。プロペラは「大径のものをゆっくり回す」のが、一番効率が上がることが知られているからだ。

 昔のことで言えば、同じエンジンを積んでいた「ゼロ戦」と「隼」では、ゼロ戦のほうが推力があった。ゼロ戦が大径のプロペラをギアを介してプロペラの回転速度を落としていた。それに対して隼は、脚が長くなるのを嫌って、幾分小径のプロペラをエンジン直結として、回転スピードを落とさずに回していた。これが実質、推力の差となって性能差になったのだった。

 最近の例では、ヘリコプターのローターやオスプレイのローターなど、大径のプロペラをゆっくり回すことで大きな推力を得て、垂直離着陸を可能にしている。プロペラのようなファンは、大径でゆっくり回すことに努力しなければ効率が悪いのだ。

 だから、ホンダがターボチャージャーの径を小さくして、どれほど工夫しても馬力が出ない結果となることは目に見えていた。これをマクラーレンに進言できなかったのが、今回のF1参戦を失敗に導いた原因と見えるのだ。これは推測にすぎないが、発表されている技術的な情報からは、そう見えてくる。技術的細部の情報を発表してほしいものである。

■現場現物主義が制限されていた

 3年目に入ってレギュレーションの変更もあり、ホンダは危険を冒して90%の設計変更を施したが、予算の関係などから、実車でのテストを制限されて十分な準備が出来ないまま、シーズンに突入してしまったようだ。今年のホンダエンジンはベンチテストでは優秀な成績であったようだが、実車テストでは散々であったようだ。それは戦績の不振を招き、乗り越えることが出来なかったのは明白だ。

 予算の関係から、出来るだけシミュレーションで解決できればよいのだが、実際にはベンチテストではテストできない条件が多いのだ。例えば、横Gがベンチではかかっていないが、実戦ではあらゆる方向のGが掛かる。そのために燃料供給が途切れたりなどするものだ。実戦テストを思うに任せないのは、開発が進まないことになってしまう。

 「マクラーレンの高い要求」は「ホンダに対する期待感」でもあろうと思う。ホンダ技術陣が、かつて「野武士」のように振る舞って、自由に技術開発をしていた姿を懐かしむ気持ちになっているのは私だけなのであろうか?(記事:kenzoogata・記事一覧を見る

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