兄弟経営が生みだした100年企業の第2世紀 正露丸の大幸薬品
2017年9月7日 06:36
正露丸で圧倒的シェアを誇る「100余年企業」の大幸薬品が上場したのは、2009年になってのことだった。上場時の記者会見で当時の社長(現会長)の柴田仁氏は「感染管理を事業化するメドが立ちましたので、資本市場を活用させて頂くことにしました」と語った。
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周知の通り大幸薬品は、一族経営。同族(一族)経営の弊害としてしばしば「兄弟経営の危うさ」が指摘される。だがこと同社の場合は、良好な兄弟経営がなければ100年近く経てからの上場はなかったかもしれない。
100年の節目を目と鼻の先とした時点で柴田氏は自説でもある「一事業・一企業百年周期説」打破に、苦悩していた。「一日も早く新しい成長事業の芽を手にしなくてはならない」。弟で副社長だった柴田高氏にも打ち明け、話し合った。「衛生管理事業への進出」に至るまで、さしたる時間はかからなかった。また具体的な選択肢として「消毒・除菌商品で市場を席巻する」ことも、早々に意見が一致した。兄弟の頭の中には「二酸化塩素」の五文字があった。その消毒・除菌力の極めて高い効果は、広く知られるところだったからである。が、二酸化塩素系の消毒・除菌剤は市場にはなかった。二酸化塩素を気体・液・ゲル状にするとその効力が9割方失われてしまうからだった。「兄さん、僕に挑戦させてくれないか」と高氏が口火を切り、説きに説いたのは上場の5年ほど前だった。
実は高氏は川崎医科大学出身の医学博士。仁氏の「分かった。有難う。お前に会社の次世代を委ねる」という言質を得た高氏が先頭に立ち、二酸化塩素の持つ弱点の克服に以来3年余り研究に没頭し、二酸化塩素の欠点克服の方法を開発した。結果、二酸化塩素による「消毒・除菌剤(クレベリン)」の商品化に成功したのである。
異色の経歴の弟が副社長だった故の話、で済ましてしまうのはたやすい。だが先行していた「感染管理」事業者にも、二酸化塩素との対峙は可能だったはず。上場という晴れ舞台を最後に、兄は弟に社長の座を禅譲した。そんな兄弟経営者もいるのである。(記事:千葉明・記事一覧を見る)