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ボーイングとエアバスは何を争っているのか(1) ハブ空港、すなわち国家経済発展を争う
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現在、ボーイングとエアバスが旅客機のシェア争いを行っている。しかし、今度の争いは過去とは争点が違っている。確かに、ボーイング・B787とエアバス・A380との売り込み合戦のように見えるが、そこに国家の経済の浮沈をかけた「ハブ空港」の争いがある。果たして「ハブ空港の必要性」はあるのだろうか?
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■旅客機の雄とは?
現在の商業機、旅客機の争いは、ボーイングとエアバスだ。しかし、すこし前の覇権を握っていたのはダグラスだった。そもそも、旅客機のメーカーと言っても軍用のメーカーと同一だ。商業機専門に近いメーカーは、つい最近になってそれが可能になってきた情勢だ。軍用輸送機を製造するエアバスが良い例だが、日本の唯一の旅客機メーカーだった日本航空機製造も航空自衛隊用貨物機C-1の設計(T-2にも絡んでいたと言われる)などを行い、純粋な商業機メーカーではなかった。C-1の設計でフラップの担当だった設計士は、私の先輩だった。この陰に、航空機メーカーは政治による国策が基本となっていることがある。
ボーイングは、B747ジャンボ以降のB757、B767などを半世紀ほど前には計画しており、YS-11以後、日本の国産旅客機の計画が途絶えたのは、日本の予算を取り込んだボーイングの戦略だった。当時、YS-11の後継機をY-Xと呼び、その次をY-XXと呼んでいた。それは、ボーイングがすでに政治的工作を進めていたと考えられるからだ。旅客機の開発は大変危険だ。失敗すれば企業は終わる恐れがある。その危険を回避するためボーイングが編み出したのが、関係各国の政府予算を取り込むことだった。Y-X計画は757となり、半世紀の間、日本の国産旅客機の開発は途絶えてしまったのだ。そして今、三菱・MRJは危機に瀕している。
戦前、戦中、戦後しばらくは、ダグラスの天下だった。ロッキード・コンステレーションはあったが、ダグラス・DC3から始まりDC4、DC6、DC7と、レシプロ機時代は旅客機の覇者であった。ビートルズが来日したときの日航機は、ダグラス・DC-7であったと記憶する。そして、DC-3の市場の後継を狙ったのがYS-11だった。また、イギリスのデ・ハビランド・コメットが旅客機のジェット時代を切り開いたが、4度の空中分解で悲惨な時代の幕開けだった。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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