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続・トルクと馬力が分かると運転がうまくなる(2) ジャーナリズムも社会インフラの責任を自覚すべき
■ジャーナリズムも社会インフラの責任を自覚すべき
「運転支援システム」で「緊急ブレーキ」装着の是非を議論している昨今だが、「ブレーキ本体の制動距離」を議論しない感覚は、技術的には「論外」なほど的外れだ。自動車ジャーナリストの中で「モラルの高い」記事を書いている人もいる。しかし、受け手のユーザー側が内容を受け入れないのでは、「お金」を考えればジャーナリズムの質も落ちてきてしまう。「メーカーの品質問題」の話を避けようとしているジャーナリズムは、「メーカーから仕事を貰っているから」と正面から主張するなど、そのモラルの低下は社会的に許される限度を超えている。アウディの現役社長が逮捕された事実を取り上げ論説した日本の自動車ジャーナリストを未だに私は知らない。ジャーナリズムは、ネットが発達した現代でも「人間の自由」、つまり国民の「知る権利・言論の自由」などと密接な社会インフラなのだ。その責任を自覚すべきだ。
【前回は】続・トルクと馬力が分かると運転がうまくなる(1) 無視された死者4千人の社会インフラ議論
世界で、今年も数十万人の交通事故死者が出ているのだろうか?これは戦争の犠牲者と比較するとどうなのだろうか?自動車インフラは、本当は「趣味の範囲で捉えることはできない」規模の死者をだすものなのだ。現在盛んに進められている自動運転技術の開発においても、「事故を減らす」ことを優先課題としていない節も感じられる。「人間のミスをなくすAI」、でも「新たなミスも生まれるAI」をもっと議論すべきなのだ。立場でものを言うことは自重されなければならない。
例えば、私は現在、トヨタ・カムリまたは、トヨタ・クラウンを買おうかと検討している。FRのクラウンに傾いている。しかし、ベンツ、BMWと比較すると、クラウンは「緊急ブレーキ制動距離」では劣っているのを隠す気はない。ディスクブレーキのディスクを大径にすることは、何よりもブレーキ性能を上げる近道だ。自社で加工していたブレーキ・ドラムやディスクの加工手順を考えると、周辺部品の変更を含めて、コストアップは最小にできるはずと見ている。だから、日本の自動車会社がブレーキ性能で妥協しすぎなのがわかる。ジャーナリストなら、ブレーキ性能に関するメーカーの「生産技術に関する怠慢」を暴く努力をすべきだ。「人命が直接かかってくる」、重要な技術だからだ。これは、何よりも最優先課題であると断言できる。
■群れを作り暮らす人間は、犠牲を出しながら子孫をつなぐのが性
「100年に一度の変革期」の自動車産業を「楽しさ」だけで捉えることは出来ないことを、トヨタ・豊田章男社長も分かっているはずだ。群れの中で暮らし、犠牲者を出しながら子孫をつないでいく様は、「動物である人間の性」であろうが、犠牲者を無くそうとするのも、人間の性のはずだ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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