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【旧車・いすゞ117クーペ】伊・カロッツェリア・ギアのジウジアーロがデザイン
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旧車の世界を少し違った角度から覗いてみよう。日本車で心に残る車と言えば、イギリスのロングセラー映画007の主役、ジェームスボンドが乗るボンドカーに選ばれた「トヨタ2000GT」だろうか。それとも現在のニッサンGT-Rにつながる「スカイライン2000GT-B」なのか?その同じ年代に、いすゞ自動車から発売されていた117クーペをご存知であろうか?
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当時、日本車が、世界的ヒット作の映画で使われるなど考えられない時代であった。またブランド品をデザインするイタリアのデザイナーが日本車を作るなど、夢にも思わなかった時代だ。現在ではブランド志向の強い、日本社会を象徴する出来事なのかもしれない。
■何といっても美しいデザイン
そのパッケージ、デザインなどからスポーツカーではなく「4座のGT」であることが一目で分かる。「ワイドロー」のデザインは、さすがにジウジアーロで美しい。日本車離れした美しさに憧れたものだ。
同じころに造られていた日産・初代シルビアは、ダットサン1600のオープンボディにクーペボディを懸架しているのだが、「クリスタルカット」と呼ばれた、現代にも通じる美しい面処理は魅力だったが、どうしてもウエストラインが高い印象があった。
しかし117クーペは違った。ワイドローでウエストラインも低く、ピラーは細すぎて造りづらかったと思われるほどだった。なぜこの時期に、これほど美しいデザインの日本車が、それもトラックで有名な「いすゞ自動車」で造られたのか不思議なくらいである。
■知識集約型産業の自動車
その当時、日本はまだ先進国とは呼ばれておらず、高度成長期の真っただ中にいた。自動車など知識集約型産業は関係する産業全てのレベルが問われるのであり、製造業だけの問題ではなかった。さらには、ファッションセンスなど文化的水準や、国民の知識レベルや、世界の中での自国の認識など、全てが国際レベルに達していないと良い車は造れないものだ。
例えば、現在の中国で自動車産業を育成しようとして、EV化を目指す国策で補助金が出ると、とても自動車とは呼べない代物がはびこってしまっている。結局のところテスラなどと組んでEV車の本格的生産を目指すようだ。
中国の高速鉄道は日本をはじめ各国の技術を集めて作られた。それを中国独自の高速鉄道と言って、各国に極めて安く(実質ただ)売り込んでいるのだが、安全について極めて心配な事態だ。それも中国の文化水準が「人命最優先」となっていないために、安全についての認識が極めて幼稚なためだ。その後、事故で示してしまった。その事故についてのコメントは、とても国際社会の一員とは言えない言動だが、中国は「恥ずかしいこと」とは考えていない。この文化レベルでは自動車産業は国際レベルになれないのだ。
いすゞ117クーペが造られた当時、日本もまだ文化水準が国際レベルであるとは言えない状況で、自動車のデザインも、あか抜けない時代だった。そんな時代いすゞはトラックのメーカーで、乗用車、スポーツカー、GTなどを作り上げるノウハウを、十分に持たなかったのは容易に推察できる。
そこでイタリア・カロッツェリアにコンセプト・パッケージから依頼したので、あの美しいデザインが可能になったものと言える。シャーシは117セダンと呼ばれた、フローリアンと共通で、リアはリーフスプリングにリジットアクスルと、トラックそのものだった。しかし、結果としてベレットGTをはじめとして「名車」を残している。それがイタリア・カロッツェリアに依頼した結果であるのであろう。
■歴史を経て、いすゞ117クーペの評価は如何に?
出来上がった117クーペは、現代でも美しいと感じる車だった。1968年、初代はプレスで成形が出来ずに、職人による「たたき出し」で、そのデザインを忠実に再現するなど、量産車とは言えないほどだった。その後、マイナーチェンジを繰り返し、造りやすくして量産がおこなわれたが、それでも数は知れたものだ。当時の日本の製造技術では手に余る状態のデザインであったのだ。
内装もウッドをパネルに使ったイギリスのジャガーを思わせるデザインで、当時の「豪華・高級」との概念なのであろう。トヨタ2000GTもパネルにウッドを使って豪華さを出していた。ジャガーの家具を思わせる内装にあこがれを持っていたことが知れる。現代ではどうか?ウッドは変わらないが、プラス革の縫い目のタッチであろうか?
街中で117クーペの美しい姿を見かけると、現代の美意識とは違う魅力を思い出す。現代のデザインより、日本文化そのものと見えてくるのは私だけの錯覚であろうか? いずれにしろ、いすゞ117クーペは見事に日本文化に溶け込んで、いつしか「日本人の通過してきた心」となっているのであろう。旧車の世界の魅力である。
車は、その国の文化そのものを映し出すものであるのだ。(記事:kenzoogata・記事一覧を見る)
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