危険運転の判断がおかしい
2024年12月2日 16:16
最近の交通事故裁判で、「過失運転致死」(懲役7年以下)と「危険運転致死」(懲役20年以下)の判断基準が余りにも偏りが大きく、見逃せない。
【こちらも】亀岡暴走事故裁判判決の常識欠如を憂える
11月28日に判決が出た「一般道を194kmで暴走しての死亡事故」で、「危険運転致死」は辛うじて成立したが、僅か懲役8年の判決だった。
●敢えて判決を批判する
世論の批判を忖度して「危険運転」としたが、過去4名を殺した事故が「過失運転」であったから、「今回は危険運転を適用しましたよ」、「過失運転最高刑の7年を超えておきましたよ」とのジェスチャーとしか思えない。
この裁判で、弁護側が「危険運転」では無い「過失運転致死」だと主張しているが、狂っているとしか思えない。
●時速194kmとはどんな速度なのか
時速194kmは分速に直すと、3,233.333mにもなる。
一般的には人間が歩く速度は時速4kmと言われるが、人間が1時間かけて移動する距離を1分弱(計算上は約48.495秒)で行くことになる。
時速194kmは、これを秒速に直すと、53.888mになるから、100mを1.856秒で駆け抜ける訳だ。
100m遠方から近づいて来る車の前を右折して、2秒後に突っ込んで来られるなんて想像している筈がない。
一般道をこんな速度で運転するのを、「危険運転で無い」と、どんな頭脳構造の輩が主張するのだろう?
●検察側、弁護側どっちもどっち
検察側は論告で、「時速194キロで走行した場合、道路の凹凸などにより運転操作ミスで進路を逸脱する可能性があり、制御困難だった」と指摘した。
この主張自体が脳天気で、ナンセンスだと言いたい。
サーキットやテストコース、整備された高速道路以外で「道路の凹凸などにより運転操作ミスで進路を逸脱する可能性」とか寝言の様なことを言っているが、本来「日本で合法的に走れる高速道路の最高速度であっても120km/hまで」である。
ライセンス保有経験のある筆者も、テストコースで200km/hを経験したが、結構緊張したものである。
このことを考えれば、一般道路で高速道路の上限である120km/hをはるかに超えて走行すること自体が「危険運転」では無いのか?
たとえ国際A級ライセンスを保有する、世界的なレーシングドライバーであっても、一般道路上では「危険運転」以外の何物でも無い。
念の為に言っておくが、レーシングドライバーは危険に遭遇した場合の「危機回避能力」と、高速走行時の「動体視力や俊敏な対応能力」に優れている人達であって、側道からの合流等が起こり得る一般道で、無謀な速度で走行すれば、今回の様な事故は避けられない。
聞いた話だが、イギリスのレースドライバーのジム・ラッセルが、1957年にスネッタートン・モーターレーシング・サーキットで設立したレーシングスクール、ジム・ラッセル・レーシングスクール(英:Jim Russell Racing Drivers School)では、入校して最初に乗車したレーシングカーを限度まで加速させ、そこから一気に安全に停車させたそうだ。
●疑問の弁護感覚
弁護側は最終弁論で、「車線を逸脱せず直線走行出来ていた」と、まるで脳みそが空っぽな者の言い訳みたいな反論しているが、猿を運転席に乗せても、偶然に車線を逸脱せずに走ることも有り得るだろう。
今回も、運が良ければ、暴走運転手が道路から飛び出してクタばって、被害者が死亡することは無かった筈だから、たまたま運転していた無謀者が運悪く車線を逸脱しなかっただけだろう。
いずれにしても、普通に路上を運転する一般ドライバーの技量は、時速200kmに対応出来ず、せいぜい現在国内で許される時速120km程度だろう。
勿論、中にはそれなりの技量を持つドライバーもいるだろうし、実際には高速道路上でもっと高速で走行している車も見かけるが~。
●一般常識の通用する世の中に
『亀岡暴走事故裁判判決の常識欠如を憂える』(2024年5月3日付)でも述べた様に、この事件では、少年は無免許で、居眠り運転夜通し車で徘徊し、睡眠不足の状態で3名の通行人と胎児を撥ね殺したにも拘わらず、「過失運転」とした裁判結果に大いに疑問を感じた。
本件の弁護士には、事故のあった道路を封鎖した上で、実際に194km/hで走行させて、自身に身の危険を感じなかったか検証させれば、馬鹿な論理の弁護展開をすることは無いだろうと考える次第である。
一般常識が通用する世の中であることを望む。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る)