富士紡HD Research Memo(2):研磨材事業と化学工業品事業を主力とし、4本柱で事業展開
2024年6月10日 13:22
*13:22JST 富士紡HD Research Memo(2):研磨材事業と化学工業品事業を主力とし、4本柱で事業展開
■富士紡ホールディングス<a href="https://web.fisco.jp/platform/companies/0310400?fm=mj" target="_blank" rel="noopener noreferrer"><3104></a>の会社概要
1. 会社沿革
(1) 創業から成長期:繊維・紡績業の発展と多角化時代
1896年に富士紡績株式会社として設立された老舗企業である。富士山の豊富な水を動力源に紡績業をスタートし、静岡県小山町で紡績工場が操業を開始した。戦前・戦後と次々と紡績工場を操業させ、繊維・紡績事業を拡大していった。1939年には、現在の化学工業品事業の拠点である柳井化学工業(株)が設立され、化学分野へ進出した。また、1976年には、米国B.V.D.とライセンス契約を締結し生活衣料事業の礎が形成され、現在のプレゼンスあるビジネスに発展した。
(2) 苦境期:10期連続無配
繊維・紡績産業は1970年代から1990年代に起きたオイルショック、バブル経済の崩壊、日米貿易摩擦などで国際競争力を大きく失い、国内生産は空洞化し、国内の繊維・紡績産業は斜陽の一途を辿った。同社の繊維・紡績事業も国内工場を次々と閉鎖し、中国やタイへシフトしていった。不採算品や高コスト体質で経営は苦しく、1997年度から10期連続無配状態が続き、経営危機に直面することとなった(2007年度に復配(2円配当)となる)。
(3) 転換期:事業構造改革
経営危機が続くなか、2006年に中野光雄氏が社長に就任すると、事業構造改革を断行した。繊維事業の構造改革と非繊維分野での成長事業(研磨材、化学工業品)の育成を同時に行い、短期間での事業の入れ替えに成功すると、結果的に持続成長・高収益体質の事業ポートフォリオを再構築した。中野氏は現・中期経営計画「増強21-25」の原点とも言える中期経営計画「変身06-10」を打ち出し、長期戦略に基づき「突破11-13」「邁進14-16」「加速17-20」「増強21-25」と矢継ぎ早に実行してきた。
2022年6月29日付で経営トップ(社長)が交代となった。中野氏から井上雅偉氏へバトンタッチし、経営体制の若返りを図った。井上社長は、構造改革に加えて現・中期経営計画「増強21-25」の策定と推進、設備投資の意思決定などを中野前社長と二人三脚で進めてきたので、経営の舵取りもスムーズに引き継がれている。
(執筆:フィスコ客員アナリスト 清水啓司)《SO》