5年先まで使える広告代理店的プレゼンテーション術 (76)

2023年5月8日 15:49

 映画「シン・仮面ライダー」が公開中です。私にとって仮面ライダーとは、やはり1号であり、本郷猛であり、それを演じる藤岡弘です(※当原稿では旧名を使用、敬称略)。

【前回は】5年先まで使える広告代理店的プレゼンテーション術 (75)

 藤岡弘と言えば、日本沈没であり、SFソードキルであり、せがた三四郎であり、探検隊隊長であり、日清焼きそばU.F.Oであり、何と言っても、「特捜最前線」でしょう。

 「特捜最前線」は、テレビ朝日系列・水曜22時に放送されていた昭和の激渋刑事ドラマです。毎週1人の刑事に焦点を当てる形式で、仮面ライダー、仮面ライダーストロンガー、ゴレンジャー、キョーダインといった東映特撮ヒーロー出身の俳優が多数出演しています。

 中でも、藤岡弘演じる「桜井刑事」の主役回には、常時、注目していました。“藤岡回”はいつ放送なのか? 3カ月後か? 半年後か? いや、そんなに待てないよ! ほとんどの視聴者は藤岡回だけを心待ちにしている! テレ朝に電話で問い合わせてみようか?  

 などと当時中学生だった私は、軽いノイローゼのように桜井刑事の回を楽しみに待つ、激烈な特捜最前線フリークでした。もちろん、写真集も所有しています。

 「特捜最前線」は、冒頭、「私は……」と各回の主演刑事たちのモノローグ(語り)で一気にドラマに没入させる手法をとっています。激しい格闘や銃撃戦はありません。極稀に犯人確保のための背負い投げやストレートパンチ、年1回程度の発砲があるぐらいです。

 地味なスーツに身を包んだ渋い大人の刑事たちが「高い専門性」と「高いプライド」を持って、犯人を追い詰めていきます(警視庁特命捜査課はエリート集団という設定です)。その中で「人間を描く」、この1点で突破している、刑事ドラマでした(もし、漫画化するならば、さいとうたかを先生にしか精緻化できないでしょう)。

 たとえば、第114話。藤岡弘演じる桜井刑事は、サラ金強盗犯を現場で射殺してしまいます。過剰防衛か、正当防衛か。桜井刑事の発砲は警視庁内の査問会で審理されていきます。

 じつは、強盗犯に暴行された女性店員の将来を案じた桜井刑事が、暴行の事実を隠すために「正当防衛」であった自身の発砲をあえて「過剰防衛」として認めてしまいます。「周囲の視線や世論を自分に集中させて女性店員を守る」という戦略に出たのです。

 この回の眼目となる点は、被害者への捜査・被害者の情報提供・司法の展開・マスコミの加熱報道・噂の流布などが原因で起こる「被害者の2次被害(周囲の心無い誹謗中傷による精神的苦痛や心身の不調)」でした。

 桜井刑事の行動は刑事としては逸脱していましたが、憐憫から生まれた自己犠牲の行動は極めて魅力的です。これは、警察・検事の取り調べやマスコミからの執拗な取材の矛先を被害者から逸らすための行動でした。

 この「やり過ぎな感じ」が藤岡弘感でもあるし、特捜最前線の人間ドラマとしての「堅牢さ」を表していたと言えます。

 実際は、恋人関係でもないかぎり、いち刑事が事実を隠してまで「女性被害者を2次被害から守る」ことなどありえないわけですが、いろいろと頑なで男気ムンムンの桜井刑事ならコレぐらいのことやっちゃうよな~、逸脱してこそ俺の桜井刑事だよな~、と当時の私はフィクションと現実の境を見失ったかのような状態で「特捜最前線」を観ていたものです。「藤岡弘=正義の塊」といった幼少期の刷り込みが強かったのでしょう。

■(76)本当に好きなモノを語る時、人はそれを整理して語れない

 人は通常、考えや思いをまとめたり、価値規定したり、解釈を語ることで、その対象物に対して自身の気持ちを整理し、何かしら確定しようとします。しかし、その「対象物への愛」が収拾できないぐらい膨張してしまった場合、理屈や理性で整理できるものではありません。私の藤岡弘愛のように。

 このように秩序立てて語れないほど「好きなモノ」があるとして、しかしながら、それは自身の思考や嗜好、生き方、性格といった「自分のファクト」と必ずどこかでリンクしているものだ、と私は思っています。

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