自動車販売形態の変遷

2023年3月21日 11:03

●「マイカー」は高額だった

 1958年にスバル360が登場。1961年にはパブリカが、1964年にはコロナ(RT40)が登場した。

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 1964年式コロナ(RT40)の定価は64万8,000円、当時の学卒初任給は2万1,200円だった。厚生労働省調査の2020年の学卒初任給は22万6,000円だから、換算すると約690万円になるが、無理すれば手が届く。

 そんな時期、1964年の東京オリンピックの直後からモータリゼーションが進んでいった。和製英語であるマイカー(my car)から、「マイカーブーム」が起こった。

●戸別訪問販促

 当時の自動車販売店の販促活動は、戸別訪問による顧客開拓だった。

 車を持っていない家庭への新規販売を目的とする「新規開拓」と、現在保有している車両の「代替促進」活動がその活動の目的であった。

 個々の営業マンに「テリトリー」を設定し、その担当地区内の全ての家庭を訪問。保有車両の有無、保有車両があれば、最低限、次回車検年月を確認する。

 現在は新車登録後、初回車検は3年目だが、当時は新車から2年毎で、その後は10年経過すると1年車検になった。だが多くの車は10年を待たずに代替されるのが一般的だった。

 新車登録して「赤」ステッカーだと、2年経過して初回車検を受けると「橙」になる。新車登録時が「青」のステッカー車は、次回は「緑」になり、これが繰り返される。

 例えば、「赤」ステッカーの車両が車検を迎える年度には、車検前からフォローする。

 参考画像の車の場合は、画像の「赤」ステッカーの車は、5月時点で(1)新車(中古車の場合もある)に代替する (2)継続車検を取る (3)手放すの、3つの選択肢しか無いので、いずれかの結論が出る。「橙」に変わっていれば継続車検を受けたことが一目で判った。(画像2参照)

●店頭販売への移行期

 当時でも、新車発売時以外にも「展示会」と称して、来場プレゼントや、目玉展示車を紹介したDMを発送し、営業拠点への来店を促した。

 DMに促されて来店するということは、少しは案内された新型車や目玉展示車に興味・関心があるのだ。現在は出来なくなったが、当時は来場者のナンバープレートから所有者名義や住所を調べることが出来たため、このデータを持って訪問活動をしたケースもある。

●店頭販売の時代

 昨今は、「戸別訪問」の販売手法ではなく、店頭に来場した見込み客に対する接客対応からの販売促進が主流の様だ。

 ディーラーにとっては、車の魅力が最大要因だが、オプションを盛り込んだ「目玉展示車」や、成約プレゼント、来場プレゼント等に工夫を凝らし、試乗車の長期貸し出し等の手段により、顧客の購買意欲に働きかける。

 メーカーは魅力的な車を開発し、様々な媒体を通じてその車の優秀さをPRする。

 それを受けて、ディーラーは店頭での顧客対応に取り組み、車の素晴らしさをアピールする。顧客がディーラー店頭に足を踏み入れた瞬間からが真剣勝負となるのだ。

●ネット販売では~

 一部のメーカーは、ネット販売が主流であると聞くが、果たしてそんな方法で車を購入するのが正しい方法なのか?

 筆者は、車は「愛情を注ぐべき対象である」と認識している。

 初めてペットとして犬を飼う場合、ネットで購入するのは正しい方法とは思えない。

 多分、何軒かのペットショップを回って、自身が納得する、「相性の良い」と思われる「家族として迎えるワンちゃん」を探すのが普通ではなかろうか。

 ネットで注文して、「愛犬」になるのは「アイボ」位しか存在しないと思っている。

 「愛犬」、「愛刀」と同様に「愛車」と巡り合うのは、担当営業マンとの相性も含めて、お互いが判り合って、「愛情を注ぐ対象」となるのだと考える。

 従って、ネットで購入するのは、「車に詳しい人が中古車を探す」場合以外には有り得ないのではなかろうか。(記事:沢ハジメ・記事一覧を見る

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