5年先まで使える広告代理店的プレゼンテーション術 (71)

2022年11月1日 16:57

 先日、バターチキンカレーを作ったのですが、パッケージ記載の作り方よりも美味しく作りたくて、アレンジしてみました。牛乳を増量し、具材をハチミツで炒め、さらなる甘みとコクを求めて「炒めたまねぎペースト」をぶち込んで、弱火でグツグツ煮込んだ結果、甘々トロトロの濃厚クリーミーなルーに仕上がりました。

【前回は】5年先まで使える広告代理店的プレゼンテーション術 (70)

 パッケージに記された「作り方」ではなく、手間と時間をかけてまで「ちょい足しレシピ」に私が走ってしまったのは、なぜでしょうか? 

 行動経済学の視点で、2つの理由が考えられます。

(1)人間は、自分が苦労して手を加えたモノに対しては、「その価格以上の価値」を感じたいものです。この場合は「箱裏レシピを超越した作り方」が「その価格以上の価値」になります。その特別な価値を作り出す自分を自賛したい深層心理も働き、オリジナル・レシピを目指すのです。特別な価値とは「箱裏レシピを超越したオリジナル感」です。

 そして、苦労の末の完成品に対し、制作者は「愛着」を覚え始めます。これは納得感の先にある、離れがたい感情です。これは、ちょい足しをオリジナルと思い始める兆候とも言えます。

 そして、「規定課題(箱裏レシピ)を大きく超えたオリジナルなのだから絶対に美味しいはず!」という前提で食べ始める。こうして自作料理に「過大な愛着」が生まれるのです。(*顧客自身が家具を組み立てることで価格以上の愛着が生まれる「イケア効果」と似た心理的現象です)

(2)説明書き通りに作るだけでは家族や友人から「手を抜いた」と思われ、低評価が下されるのではないか? そんな危惧から、何か足し算をして、あえて「味変」する人がいます。これは、自分以外の他者の目・評価を気にする「社会的規範」が働いているのです。

■(71)「情報にコントロールされた味覚」に勝つ味こそ、正義

 作り手としては、手間をかける方がその「労力」に「価値」を感じ、家族や他者からの「評価」が高まると思っています。

 料理は自分界隈を揺さぶるコンテンツなのです。身近な人にどう評価されてしまうのか。飲食店でいえば、その料理が世の中にどう作用するのか。相手に美味しいものを食べてもらいたい思いで作る料理には、認められたい「自己愛」も内在しているのです。

 料理人の中には、相手に「徹夜で仕込みました!」とか「ぜんぶ手作りだよ!」とか「食材は●●産の△△を使用してます!」とか「キミの好きな〇○を■■まで買いに行ったんだよ!」とか、2次的情報を解説する人がいますよね。これこそ評価を気にした自己愛です。

 努力を含むUSP(ユニーク・セリング・ポイント)を伝えることで、自身の料理が絶対に美味しい、秀逸だ、と相手に思い込ませたいわけです。「有難みの洗脳」ですね。

 そういった作り手や食材の「情報」がしっかりと相手に事前供給された上で、食べていただく。この「有難みの洗脳」は80年代後半・バブルの飽食期から加速し、今に至っています。

 ここまで書いて、コミック「ラーメン発見伝」(ビッグコミックスペリオール・連載終了)の芹沢の名言を思い出しました。

 「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!

 これ、SNS時代前夜のセリフですけど、核心を突いてますよね。外食にかぎらず、人は何かを食する時、「事前に仕入れた情報」を“隠し味”にして食べています。人によっては自分の舌に自信が持てず、うまい・マズいを判断できない人もいます。

 ゆえに「情報」を主食や副食にして食事を楽しむ層が出てくるわけです。この場合、「味の優劣」は自身の味覚だけで判断しません。何かしら“有難い”「事前情報」があり、それらが「思い込み味覚」として作用し、評価の1要素となっているのです。

 上記の芹沢のセリフは、情報過多時代の盲点を鋭く突いています。ラーメン・ユーザーは「思い込み味覚」によって、「実際の味ではなく、情報から造られた味を脳で楽しんでいる」と芹沢は捉えたのです。この芹沢の解釈に主人公・藤本はただ驚くばかりで、反論も持論も展開できずじまいでした。

 「多情報にまみれ、振り回されて出来た一品は逸品ではない。これからのラーメンは、『情報にコントロールされた味覚』に勝たなくてはならない。俺はそれを作る!

 藤本には、このぐらいの宣言をして欲しかったですね。

※参考文献:「サクッとわかるビジネス教養 行動経済学」、「ラーメン発見伝」

関連記事

最新記事