新型コロナ、従来の方針にこだわる日本と中国 世界は既にゲームチェンジなのに!
2022年4月13日 11:02
欧米では新型コロナウイルスへの対応が、大きく変化している。特別効果的な対策に辿り着いて、見事な防疫効果を上げているという訳ではない。自然体で、コロナ過が拡大する以前の大らかな生活を、取り戻し始めているということだ。
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現在主流となっているオミクロン株の特徴は、感染力が強い反面重症化しにくいと言われている。たとえ感染しても無症状の人が多く、症状が認められても軽症であることや、過度に恐れて社会経済活動を犠牲にすることを天秤にかけた結果、コロナとの共生を受け入れたと言えるだろう。
新型コロナ自体が重症化しにくく変異していることに加えて、有効性の認められたワクチンが普及し、治療薬も出現していることを考えると、充分バランスの取れた判断だ。
欧米がウイズコロナへ歩み始めたのに対して、未だに従来の方針にこだわっているのが日本と中国である。
日本は感染拡大の当初に、感染症2類に準じた扱いとする選択したため、凶悪な疫病と同等の扱いが求められる状態が続いている。その結果、重い症状の患者が増加してベットの残りが減少すると、「医療崩壊」と煽るマスコミの動きに押されて、社会の落ち着きが失われていた。
感染症2類に準ずるほど恐ろしい感染症なのかと疑問視する声は、ようやく高まりつつある。問題は「慎重に判断すること」が得意な岸田首相が、見直しへと舵を切れるかどうかというところにある。
新型コロナウイルスの発生源と目されている中国では、発生源であることを強く否定して来た反動で、新型コロナの感染を忌避する「ゼロコロナ政策」が取られて来た。「新型コロナの感染が押さえられている中国が、発生源である筈がない」と主張するためか、感染が確認された地域には躊躇なくロックダウンが行われて来た。風向きが変わったのが、北京オリンピックとパラリンピックを乗り切った後だ、というのが何やら暗示的だ。
3月の中旬、200人程の感染者が確認された上海市の場合、重点地域の指定を受けた地域では2回のPCR検査を実施。感染者や濃厚接触者が確認されていない地域でも、24時間のロックダウンが実施されて、即時終息を狙った当局の思惑がストレートに表現された。オフィスはもちろんのこと、ジムでの運動中にロックダウンされたり、児童の感染が確認された小学校では、児童が校舎で一夜を過ごす事態まで発生した。
その後も断続的に、地域を変えてロックダウンが行われて来た上海市では、何故か感染者が増え続け、4月9日に確認された感染者は2万5000人に近づく勢い見せて、9日間連続増加となった。
そんなさなかの8日、北京では北京オリンピック・パラリンピックの選手に対する表彰式が行われ、改めて「ゼロコロナ政策」の成功がアピールされた。
中国政府が「ゼロコロナ」をアピールし、国営メディアが「コロナとの共存は、住民の生命・財産に大きな被害をもたらす」とゼロコロナの徹底を訴える。一方でインターネット上には、「ゼロコロナ政策を継続すると、市民の健康が犠牲に晒される」とか、「ウイルスと共存することは必然で、ゼロコロナは政治目標だ」と、政策の見直しを求める声も見られるようになった。政策と実態の間に、乖離が広がっていることは否めない。
11日、米国務省が新型コロナの感染拡大とロックダウンを受けて、上海の総領事館勤務の一部職員と家族に対して退避を命じたところ、翌12日には中国外務省の報道官が「政治利用だ、断固反対する」と強烈な不満を表明した。「自由の国アメリカ」の職員が、ロックダウンの不便さに音を上げたところ、メンツを潰されたと感じた当局が過剰に反応した構図だ。
4月に入り上海では、ロックダウンの影響でiPhoneやノートパソコンなどの大型工場で稼働を停止する例が続いている。建前ばかりでない、本音の部分でも不都合が表面化して来た。
日本と中国が抱える事情には相当の差があるが、新型コロナに対する方針の継続に疑問符が付けられていることは共通している。深いしがらみを脱却して世界標準に一歩近づくのは、決断力に疑問符がある日本か、はたまた何よりもメンツを重んじる中国か?感染とは関係のないところで、注目されるのは2カ国の今後の対応だ。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)