子供にも五分の理を認めよ 子供を叱責せず、成長を見守る教育
2021年5月31日 08:15
子供の聞き分けがない時、失敗を繰り返す時、意図して悪さをする時。小さな子供が居る家庭では親が子供を強く叱責する光景は日常茶飯事だろう。しかしその叱責の後、親の心の中に残る後ろめたい感情を蔑ろにしてはならない。今回はD・カーネギー氏の名著「人を動かす」から人を動かす3原則の中のひとつ「盗人にも五分の理を認める」を起点に子供の教育について考えていこう。
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■叱責は子供の働く悪さを治すのに効果をなさない
人は何か間違いを犯した時、自分が悪さをしていることを認識しているだろうか。子供に限らず、誰一人として自分が悪い人間だとは思っている人は居ない。犯罪を犯した人間であろうと、取調べではうまく理由を見つけて「こうする他なかった」と話すという。
そんな人を相手にどれだけ悪いことをしたのか責め立てたところで、相手は益々意固地になって言い訳を考えるだけである。それは子供であっても変わらない。子供が何か悪さをした時に、それがどれだけ悪いことなのか言葉や態度でわからせようとする大人が居るが、それは悪さを止めさせるための意味をなさないどころか逆効果である。
子供は本質的なその悪さの意味を理解しようとせず、ただ叱責を避けることだけを覚える。その結果、失敗や悪さを隠すようになり、益々質が悪くなるだけだ。子供の悪さを治すために叱責は何の意味もない。
■子供には失敗を経験させること
では、子供の成長を促すためにはどうしたら良いのか。それは、存分に失敗させることである。こちらからは何も促さず、自然に失敗の居た堪れなさや屈辱感を味わわせることである。準備をぐずっていたなら遅刻の恥ずかしさを、部屋を片付けないなら物をなくした時の煩わしさを味わって貰えばいい。
そのうち必要な努力や工夫を自分で思案するであろう。親が何か手助けや助言をするのは本人が求めてきた時だけで良い。100回の叱責よりも1回の失敗体験の方が多くの学びを得るのに健全な方法なのだ。
■大人が失敗を恐れてはならない
子供の経験する失敗を周りの大人が先回りして憂慮してはならない。それは子供が失敗から学ぶ機会を奪うことに他ならないからだ。怪我をするのではないか、恥を掻くのではないかと心配するのも可愛い子供を持つ親なら当然なのかもしれない。
しかし、それ以上に子供が怪我や屈辱感の経験から学ぶことは大きい。怪我はいずれ治り、恥はいつか忘れるのである。まずは周りの大人が目先の不安に囚われることなく、思慮深く子供を見守られるようでなければならない。(記事:双風サキ・記事一覧を見る)