新型コロナの感染対策を語る「専門家」に感じる、バランスの悪さと視野の狭さ!
2021年3月25日 17:40
専門知識が必要な領域の意思決定をする際に、専門家の意見を聞くことは理に適っている。感染の初期に、新型コロナウイルスを軽く見て「ただの風邪だ!」と言い放った南米の大統領や、感染者の治療目的に「消毒薬を注射できないか?」と妄言を吐いた北米の元大統領のような”強引な素人”に、かきまわされるリスクは避けるべきだからだ。
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人には個々に得意な分野と不得意な分野があり、好き嫌いの感覚も千差万別だ。だから足りないところを補い合うという意味で、特定分野に知識と経験を積み重ねた人であれば的確なアドバイスが得られる筈だという期待感がある。
悩ましいのは、専門家の意見が同じとは限らないということだ。
新型コロナウイルスに対する姿勢ですら、「根絶までとことん対策を徹底すべきだ」という人から、「共生するつもりでいた方が良い」という意見の、どちらを採用するかで対応は全く違ったものになる。
マスコミに登場する専門家の「専門家度」にも大きな格差がありそうだ。感染症学会の重鎮の場合と、単なる医師の発言を、専門家の意見として同等に受け止めることが適切とは言えないだろう。
新型コロナ自体が認知されて、やっと1年少々の知見が積み上がっただけである。感染症に詳しいと言っても、新型コロナに同じ公式が当てはまるわけでもない。研究者を除けば、結局みんな50歩100歩なのではないだろうか。
新聞やテレビなどのマスコミから、専門家としてのコメントを求められて「危機感を煽る必要はない、冷静に対応すべきだ」という持論を伝えると、その後は接触がなくなったという医師の話を聞く。マスコミには「大変な状況」を伝えないと、買ってもらえない・見てもらえない、という強迫観念があるから、どうしても大袈裟に伝える性癖がある。
その方針に沿う専門家の意見を多く取り上げていれば、世の中が大変な状況にあると感じた視聴者や購読者が、穏やかな気持ちではいられなくなるのは当然のことだ。
新型コロナウイルスは当初、致死率の高い恐ろしい感染症の可能性があると伝えられたものだから、社会全体が緊張感を持って受け止めた。しかし、発見から1年以上を経過してインフルエンザの死亡率を下回る程度の感染症であることが認知されながら、未だに感染者数がトップニュースになるのは、注目を集めたいマスコミが煽り続けるためだろう。
人と触れ合う機会が少なければ感染リスクが減少することは、今や常識のレベルだと言うのに、新型コロナウイルス感染症対策分科会会長という歴とした専門家である尾身茂氏が、緊急事態宣言の解除に際して口にしたのは「花見も飲み会も外食も旅行もするな」ということだ。みんな頭の中では「控えよう」と理解していることばかりで、専門家がマイクを通す発言とは思えない。
日本医師会の中川俊男会長は「緊急事態宣言を無期限に継続すべきだ」と言っている。医師として凡人よりは感染症の知識をお持ちかも知れないが、専門は脳神経外科だ。緊急事態宣言が社会にどれほどのマイナスを及ぼすかという理解力があれば、無期限の緊急事態などと口にすることは考えられない。
専門家として「感染を減らすためにどうするか?」と質問された場合に、経済や飲食業、旅行観光業の苦境、自殺の増加、高齢者の運動能力の低下や認知状況の悪化等々について配慮しながら答えることはない。
だからと言って「専門バカ」と表現することは不適切だろうが、もともと、総合的な見解を求められているわけではなく、感染を減らすための方策を語っているに過ぎない。その程度の発言なのに影響が甚大で、発言者にその自覚がないことが問題なのだ。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)