新型コロナウイルスの動向を、感染者数で論じるのは正しいのか?
2020年7月23日 18:31
当初、日本における新型コロナウイルスの感染確認は重症者に限定して行われていた。PCR検査体制が脆弱だったことや、医療機関のキャパシティを考慮すると賢明な対応だった。当然、確認された感染者数が実態を大きく下回っていただろうことは想像できる。
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現在のPCR検査体制は喉の奥の拭い液だけでなく、唾液による検査の精度が確認されたため多様化が進み、検査体制も整備されている。医療機関のキャパシティにひっ迫感が薄まったこともあって、本人の希望が入れられるなど、従来と比較すると相当弾力的なPCR検査が行えるようになった。現在感染者として確認されている数は、感染者の実態により近いものと考えられる。
つまり概ね6月末を境にして報道される感染者数の背景には大きな違いがあることを考えなければならない。どうしても比較したいのであれば、緊急事態宣言前後で基準が変わらない死亡者数で比較すべきだ。死亡者が緊急事態宣言前と比べて明らかに増加しているのであれば憂慮すべき事態だが、現状がそんな状態でないことは言うまでもない。
東京都の感染者数が200人台を数え、300人台に乗ったことばかりに焦点を当てると危機感ばかりが煽られるが、感染者数だけを見て一喜一憂することは慎むべきだろう。
もちろん、重症者が頻発して病院のキャパシティを脅かす事態であれば憂慮すべき事態である。
第1波と言われる新型コロナウイルスの感染を経験した日本社会には、マスクの着用と「手洗いうがい」の励行、3密の回避という感染防止策が浸透している。時には戒めを忘れて3密の中に身を置いてクラスターを引き起こす輩も出現するが、総じて軽い症状で収まっていることは間違いなさそうだ。
持病を持つ人や高齢者はもちろんのこと、社会全体が自衛策を取っているため、重症者が続出する事態にはなっていない点が、緊急事態宣言が出されていた頃と決定的に違う。新型コロナウイルスを軽んじることは禁物だが、過度に神経を尖らせる必要はないということを物語っている。
もともと、日本を含むアジアの多くの国では欧米のような高い死亡率は記録されていない。理由は明白となっていないが、死亡率の実態は同一の感染症とは思えないほどの乖離を見せている。
この認識に立てばGo To トラベルの開始を落ち着いて見られる筈なのに、エキセントリックな危機感を煽る声が響き渡っている。旅行産業や交通機関に勤めて生計を繰り回している人にとっては、多少といえども客足の増加することが希望へつながることは言うまでもない。同じ政策にたいして「期待しています」という意見で歓迎する声と、「感染が拡大したら人災だ」と疑問視する声が交錯する所に政治の本質がある。(記事:矢牧滋夫・記事一覧を見る)