自分に「向いていること」の見つけ方の一案
2020年3月16日 16:21
どんな人にも得意なことと不得意なことがあります。得意なことはたぶん「向いていること」で、不得意なことは「向いていないこと」です。これは自分自身の感じ方であり、自覚できることです。
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一方、会社をはじめとした組織では、よく「適材適所」といいます。「その人の能力、性質によくあてはまる地位や任務を与えること」が定義ですが、このほとんどは、本人の意思ではなく他人が決めることです。希望を伝える場はあったとしても、それが通るとは限りません。
ある大企業に在籍する人が、最近ようやく自分が希望していた仕事につけたと言っていましたが、希望を出し始めてから10年かかったそうで、それを言い続けた根気に感心してしまいました。
こんな時間軸で、果たして希望を聞く意味があるのかと思ってしまいますが、逆にそれくらい「自分が向いていると思うこと」は軽視され、「他人から見て向いていると思われること」が優先されます。
中には、あえて「向いていないこと」「未経験のこと」をやらせる場合もあります。会社は本人の経験のため、成長のためと言いますが、それが本当に効果的なのかはわかりません。
「いい経験になった」という人は多いですが、それは組織人として、会社から指示されたものには従わざるを得ませんし、肯定的にとらえなければただの時間の無駄となってしまいますから、その言葉には、建前と本音が入り混じっているのが実際のところでしょう。
苦手な経験は必要かもしれませんが、私はそれは程度の問題だと思っています。
例えばサッカー選手に野球の経験をさせて、本人はいろいろ刺激を受けるでしょうが、それはあくまでサッカーに活かす前提でのことです。半月くらい一緒にトレーニングすれば十分で、もし「これから2年間野球をやれ」と言われたとしたら、そんな時間を費やすことに意味はありません。
自他ともに「向いている」とわかっているサッカーに力を注いだ方が、自分にとってもチームにとっても良いに決まっています。
私は仕事でも趣味でも、「向いていること」をやるのが重要だと思っています。それがあまりにピンポイントで、「他のことはできない、やらない」では困りますが、一定の幅があれば「向いていること」に取り組む方がメリットは大きいです。
そんな「向いていること」の定義として、いろいろなことが言われます。好きなこと、得意なこと、続けられること、面白いと思えること、その他いろいろありますが、私が考えていることが一つあります。
それは、「自分では頑張っているつもりはなくても、他人からは頑張っているように見えること」です。これは「頑張らなくてもできてしまうこと」と似ていますが、これだとできることが人並みレベルのイメージなので、ちょっと違います。
アスリートで言えば、誰が見てもつらそうなトレーニングを楽しんでやっているようなことですが、仕事で言えば、例えば「普通の人は集中し続けなければできない細かい作業をいつまでも続けられる」「他人が嫌がる仕事を楽しくやれる」といったようなことです。
これは、自分の感覚だけでなく、他人からの目だけでもなく、双方の見解が一致した「向いていること」になります。
本当に「向いていること」は、自分の独りよがりでも、他人の一方的な押し付けでもなく、両者からの視点で、バランスが取れたところにあると思います。
もちろん、「向いていること」は移り変わりますし、それを見つけるまでには試行錯誤も必要ですから、いろいろなことにトライする姿勢は大事です。
ただ、頑張るというのは、能力を超えた努力なので、そんなに続けられるものではありません。そして、頑張り続けなければできないようなことは、やっぱり「向いていないこと」であり、そのままやり続けても心と体を疲弊させます。
見切りをつけて、もっと「向いていること」を探すのは、決して悪いことではありません。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。