南琉球最古の土器の謎 琉球大学の研究
2019年7月2日 12:33
南琉球というのは宮古・八重山諸島を指す言葉である。この時代のもっとも古い土器から見出されたこの地域の先史時代の特徴について、琉球大学が新たな仮説の提唱を行った。
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今回の研究に関わるのは、石垣島の東部沿岸にある白保竿根田原洞穴遺跡である。近年の発掘調査で約2万8,000年前の人骨が発見され、大きな話題になった。
またこの遺跡では、ほかに約1万年前のものとみられる土器も見つかっている。これは南琉球における、発見されている限り最古の土器である。
前述の事情から、3万年前の南琉球に人類が到達していたことは確かなのだが、いっぽう1万年前から4,800年前にかけて、人が居住した痕跡が確認できない時期が存在していた。
4,800年前になると、道具や食糧残滓などの遺跡史料から、「下田原期」と呼ばれる文化が生まれていたことが分かっている。これについては、石器や土器、貝製品や動物の骨、牙を使った骨角器が発見されている。そして約3,600年前まではこの文化が継続していたことが確認されている。
これと同時代に、北琉球すなわち沖縄島を中心とした諸島部では、「貝塚時代」と呼ばれる文化が興っていた。この北琉球の文化と下田原期の文化は大きく異なっており、南琉球の文化は、台湾などより南方から来たものではないかと考えられてきた。
しかし1万年前の土器の発見は、その定説を覆すことになる。まず、この1万年前の土器が本当に真性の考古学遺物なのかどうかを考えなければならないが、その点は検討の結果、真性と認められると考えられるという。またこの土器について詳細に検討したところ、下田原期最古の土器との間に共通特徴が認められた。
以上のことから、「空白期間」についての謎は解けてはいないものの、この1万年前の土器を生み出した文化と下田原期の間に何らかの関係があることが示唆される、というのが今回紹介した研究の結論である。
なお、研究の詳細はJournal of Archaeological Science: Reportsに掲載されている。(記事:藤沢文太・記事一覧を見る)