歴史の偉人から学ぶ出世・キャリアアップ法 黒田官兵衛、決死の提案術

2019年3月7日 11:33

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、といいます。現代の私たちは、剣や鎧を捨てた代わりに、知識や知恵を用いて、さながら戦国の世のようにこの厳しいビジネスの世界を戦い抜いていかなければなりません。後世に名を遺した偉人たちは、一体どのように戦国乱世を生き抜いてきたのか。彼らは現代の私たちに多くのヒントを残してくれています。

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 ビジネスの現場ではよく、「せっかく提案した企画書が通らない」という悩みを耳にします。新商品の企画や新事業の考案、社内制度の改革など、ビジネスマンに提案力は欠かせません。しかしせっかくの提案書がボツになり、やる気やモチベーションを失ってしまう方も多いのではないでしょうか。

 では、なぜあなたの書いた提案書は上司の承認を得ることができないのか。その理由を、今回は戦国武将「黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)」から学んでいきましょう。官兵衛は、一家の生死を賭けた決死の提案によって、荒れ狂う戦国時代において自身と子孫の安泰を手にしました。

 黒田官兵衛といえば、信長の死後、主君の豊臣秀吉に「天下を取るチャンスは今しかない」と進言したことで有名です。逆賊である明智光秀を討たんと、わずか10日間で備中高松城(現在の岡山市)から京都に取って返した「中国大返し」を発案。秀吉の天下統一に最も尽力した武将といっても過言ではありません。

 そんな官兵衛がまだ小大名の小寺政職(こでら・まさもと)に仕えていた頃、黒田家の将来を二分する大きな出来事に遭遇しています。当時は、東国の織田信長と、西国の毛利輝元(もうり・てるもと)が天下の覇権をめぐって、中国地方で激突しようとしていました。播磨(兵庫県)に拠点を構える政職にとっては、東西どちらの勢力に加担するのか、早急な決断を迫られていたのです。

 家臣の官兵衛は、武田信玄をも打ち破ったその勢いや、「天下布武」を掲げるその気性から、将来を見据え織田方に味方することを進言します。しかし政職配下の重臣たちの中には、他国にも寛容で、旧家からの誼(よしみ)がある毛利方を支持する者が占めていました。

 そこで、官兵衛は政職を説得するため、重臣たちが集まった評定の場で、織田方に不満のある武士たちの説得を試みました。その提案は以下のように6つのポイントに分かれています。

 (1)輝元は文武ともに優れず、大器も覇気にも欠け信長の勢いを止めるに不足する(Why)
 (2)信長に使者を出し、毛利攻めの助役を買って出ること(What)
 (3)岐阜城に直接謁見することが礼儀である(Where)
 (4)姫路城で準備を整えしだい出立する(When)
 (5)仲介役は信長配下の寵臣である木下藤吉郎(秀吉)に依頼する(Who)
 (6)事前に藤吉郎に文を送る。その後、10名の精鋭と共に官兵衛が岐阜に出向く(How)

 官兵衛の提案は、「5W1H」に則った反論の余地もないものであり、その場にいた毛利派の家臣たちを一様に黙らせたとされます。「なぜ織田方につくのか」、「いつ、どこで、誰を介して行うのか」など、疑問のすべてが解消される提案の出し方は見事と言えるでしょう。

 ビジネスの現場でも、この「5W1H」を意識して提案書を作ることが大切です。上司に提案が却下される理由は、「なぜ」や「どのように」、「いつ」などの要素が抜けているからで、「5W1H」のない提案書は、何を伝えたいのかがはっきりしません。まずはメモ用紙などで良いので、「5W1H」から連想する要素を並べてみましょう。良い提案を行えることが上司に認識されれば、今度はビジネスマンのキャリアアップに繋がります。

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