「強いリーダー」と「ワンマン」「独善」の紙一重
2018年9月3日 18:54
今度は日本体操協会でのコーチによる暴力と、それにからんで協会側の一部役員によるパワハラがあったという選手からの告発で、またいろいろ問題になっています。
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今のところでは真実がどうなのかはわかりませんが、権力者側が「すべて嘘だ」と切り捨ててしまったり、録音データを出してきて潔白を主張したりするというのには、ちょっと違和感を持ってしまいます。
誤解や勘違いがあるにしても、引退した一部の元選手たちが、これまでも問題があったような発言をしていることから、協会側が正さなければならないことは、何かしら必ずあると思います。
その後、協会役員は謝罪コメントなどを出していますが、当初の感情的で攻撃的な反応を見ていると、組織の上に立つ者、指導する者の態度としては、好ましくない印象を持ちます。
権力者であればなおさら、日々の言動や態度には十分注意しなければならないと、強く思います。
今回告発されたのは、二人ともオリンピック選手というご夫妻で、選手として一時代を築いた「カリスマ」と呼んでも良い方々ですが、経営者の中にも、同じように「カリスマ」と呼ばれる著名な人がいます。会社を発展させた、立て直したという実績が豊富で、それが誰からも認められるような人たちです。
私もそうですが、人はそんな「カリスマ」経営者の本を読んだり話を聞いたりして、何か参考にしようとします。機会があれば直接指導を受けたり、その人の元で働いてみたいと考える人もいるでしょう。
強いリーダーシップを発揮する経営者にあこがれ、それに対して自分の会社の経営者や上司に対して幻滅を感じ、不満を述べる人に出会うことがあります。
ただ、私がいろいろな経営者の方々にお会いする中で思うのは、実績がどうか、有名か否かに関わらず、「カリスマ」であることや「強いリーダー」があることと、悪い意味で「ワンマン」「独善」といわれることは、本当に紙一重の差しかないことです。
そして、その差がどこにあるかと言えば、その人の実績や経歴、人間性などにかかわらず、「相手が納得しているか」です。経営者自身が自覚している実績、確信、自信と、相手が思っているそれとは、必ずしも一致しません。これが食い違うと、「ワンマン」「独善」だと言われるのです。
以前に聞いた話ですが、プロ野球のある監督が、自身が行なってきた練習方法に対する自信をもとに、冬のトレーニングでスパイクを履いてランニングすることを求めましたが、当時のコンディショニングコーチは足を痛める原因になりかねないと主張して対立し、その後退団してしまったことから、このコーチを信頼していた選手たちとも対立し、監督としては短命で終わってしまいました。
現役時代の実績はまさに「カリスマ」でしたが、その自信とプライドから、周囲と柔軟な関係を築くことができませんでした。
自分への“自信”も度が過ぎれば“過信”に変わり、“プライド”も過ぎれば他人の話を聞く耳を持たなくなります。自分の経験に自信や確信がある人ほど、その危険があります。
過去の実績は「相手を納得させる」ための一つの要素ではありますが、その時の環境や論理的な背景などによって捉え方は変わります。さらに、聞く耳を持たない、高圧的といった本人の態度も影響します。
どんなに強固な裏付けや実績があったとしても、相手が納得しないまま押し付ければ、それは「ワンマン」「独善」となります。
組織を率いるリーダーや指導者の中でも、特に経験や実績に自信のある人は、注意しなければなりません。
※この記事は「会社と社員を円満につなげる人事の話」からの転載となります。元記事はこちら。